2023-03-05 ライフ

【台湾で馬拉松?番外編】東京マラソン開幕!日本のマラソン早わかり

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注目ポイント

本稿が公開される頃には、国内最大規模の市民一体型のマラソン大会、東京マラソンのスタートが切られているだろう。台湾のマラソンシーンを紹介する「台湾で馬拉松?」の番外編として、日本の市民マラソンの変遷を駆け足で紹介したい。

3月5日(日)、東京で16回目となる東京マラソン2023が開催される。大都市で開催される市民一体型のマラソン大会へのニーズの高まりから、2007年に初開催された東京マラソンは、国内外から3万8千人ものランナーが集まる類を見ない国際色豊かな大会になった。

超高額賞金も贈られた明治のマラソン大会

そもそも日本で初めて「マラソン」という言葉が使われたのは、1909(明治42)年3月に開催された「マラソン大競争」といわれている。体格試験や予選を勝ち抜いた20人のランナーが、神戸の湊川埋立地から大阪の西成大橋東端までの約32kmを競い、優勝者には現在の金額で500万円から1000万円にも上る多額の賞金と豪華賞品が贈られたという。

「日本最古のマラソン」として、小説や映画でも描かれたのが1855(安政2)年の「安政遠足(あんせいとおあし)」だ。安中藩主の板倉勝明が藩士の鍛錬を目的に、安中城の城門から碓氷峠の熊野神社三社権現大鳥居までの約30kmを徒歩競争させたもので、数え年で50歳以下の家中若侍が2人から12人の組に分かれて参加し、完走者には御神酒や力餅などが振る舞われたと伝えられている。

1955(昭和30)年に当時の記録が発掘されると全国紙が報じ、地元では安政遠足保存会が組織され、1975(昭和50)年には120年ぶりにレースが復活。侍などの仮装をして参加できるマラソン大会として現在も続いている。

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聖地誕生は真夜中のレースがきっかけ?

1960年代は市民マラソンの黎明期。東京五輪男子マラソンで円谷幸吉が銅メダルを獲得、英国ウィンザーマラソンで重松森雄が世界最高記録(当時)を樹立、さらにメキシコ五輪男子マラソンで君原健二が銀メダルを獲得するなど日本人ランナーの顕著な活躍が注目を集め、1967(昭和42)年には市民マラソンの走りとなる「青梅マラソン」がスタートした。

都外からもランナーが集まる「皇居ラン」もルーツは60年代だ。1964(昭和39)年11月に皇居に近い銀座のクラブやバーの経営者が「皇居1周マラソン」を企画。ランナーはホステスたちだったことから、レースは真夜中に催された。これに触発された国立国会図書館の職員たちがマラソンクラブを設立し、皇居周辺を走り始めたことが「皇居=ランナーの聖地」になった所以だとされている。

70年代にはアメリカに端を発するランニング=ジョギングブームが巻き起こり、市民ランナーが増加。そして2007年に初開催された東京マラソンをきっかけに、ランニングブームの拡大はとどまるところを知らない。

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