注目ポイント
民主化が進むとともに世相も激しく変化した台湾社会。いつの間にか見なくなった日常の光景や人々の交わり方も。仕事や研究活動を通じて長年台湾と向き合ってきた筆者が、ほんの少しむかしの台湾の姿を掘り起こし、振り返ります。今回は1990年夏、台湾本島最南端・屏東一帯をバイクで旅した際、原発や軍事施設を目にした思い出から。
どこが想定する「敵国」だとは、ここでは敢えて言わないが、軍事面に関して情報のみならず建造物の場所、その造作の在り様などが敵国に情報がスキャンされるようなことは避けなければなるまい。当然ヒリつく場所である。1990年時点でも、台湾は加速度的に膨張する「敵国」に最前線で直面していた。それは金門、媽祖だけではない、ここバシー海峡でもそうだったのだ。
そのような場所に珍妙というか、まことにふざけた姿で立ち入ってしまったことを猛省し、30歳夏のこの一件が自分の防衛に関する思想が大転換する大きな契機となった。この件でも台湾に教えられたといえる。
ところで安宿のベッドに起因するダニ攻撃によるかゆみが長く後をひいて、影響は中秋節の頃までもたらされ、身体の記憶としても簡単には忘れられない思い出を刻み込んでくれたのだった。
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