2023-03-02 政治・国際

【バック蓬莱】③ 地図に載っていない場所とは…

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注目ポイント

民主化が進むとともに世相も激しく変化した台湾社会。いつの間にか見なくなった日常の光景や人々の交わり方も。仕事や研究活動を通じて長年台湾と向き合ってきた筆者が、ほんの少しむかしの台湾の姿を掘り起こし、振り返ります。今回は1990年夏、台湾本島最南端・屏東一帯をバイクで旅した際、原発や軍事施設を目にした思い出から。

よし、東海岸北上ルートに決定だ。

ということでバイクを借り、東海岸を北上することにした。

地図には道がないはずなのに、そこそこ広く舗装された道が続く。暑い台湾、しかも最南端で晴天。されどノーヘルの顔に、マレーシアバティック(ろうけつ染め)を着た上半身にあたる風は心地よい。余計な建造物もないのでコーナリングも快適に攻めてツーリングを続けていたところ、冒頭の兵士たちに出くわしたのだった。

地元の人はもちろん、台湾人ならば、この領域には立ち入っていかないだろう。前方には、遠方から見れば木々草花と同化しているだろう迷彩色でペイントされた建造物が見える。道中ある地点から存在していたのだろう、高く伸びた草に隠れて気づかなかったが、道路脇は鉄条網で仕切られていた。

そう、実はこの辺り一帯は軍事施設だったのだ。どうりで地図に描かれていないわけだ。そんなところを、マレーシアバティックにサングラス姿の、何者か全くわけのわからない怪しい男がバイクで現れたのだから、二人の兵士がとった行動は実に正しいといえる。

「どこへ行く。目的は何だ」「お前は誰だ」と腹式呼吸による発声で兵士の一人が尋問してくる。もう一人は「捧げ筒」のような状態だ。「私は日本人です。景色を見ながら屏東から走ってきました。中国語わかりません」と日本語で押し通す。

「パスポートかIDカードを持っているか」と訊かれるが、バティックという超軽装。国際運転免許証、ましてやパスポートも宿に置き持参していない。われながら全くもってふざけた野郎だ、この男。これで軍事施設に迷い込むようなことをしでかしているのだ。

次に兵士は英語で「お前は誰だ」と訊いてきたが、「ジャパニーズ・オンリー」と言い続けるうちに二人の兵士は何か話し合い、話しかけてきている兵士が無表情に元来た道を指さし、「ゴーバック」と普通の声量で言った。「サンキュー」とワタシ。そそくさとセルを回し、ほぼフルスロットルでその場を後にした。

先述の原発に関してもそうだが、当時のワタシは高校生当時から染みついてしまっていた日本的リベラル思想(というか某A新聞的思考?)から抜けきれず、「防衛力を強化するから敵国が仕掛けてくるのだ」、「自衛隊は違憲だ」などという考えから抜け切れずにいた。

しかし先の一件の帰路で、バシー海峡を見下ろす台湾島南東部断崖地形に立つと、日本に向かう物資を運ぶ航路の要衝であり、台湾のみならず軍事上フィリピン、そして日本にとって重要な地であることを再認識した。実際彼方に通りゆくタンカーらしき船影が確認できる。

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