2023-02-28 政治・国際

【広橋賢蔵の『余はいかにして“台湾”人となりしか』】④ 最終回 壮絶!モラハラDV夫と決別のため帰化申請した日本人女性の独白

© Photo Credit: Shutterstock / 達志影像

注目ポイント

台湾人女性と結婚し、長年台湾在住ライターとして活躍してきた広橋賢蔵氏がこのほど台湾で帰化申請し、晴れて『新台湾人』となった。同じような決断をした隣人たちにも興味を持ってインタビューしてみると、そこにはモラハラやDVに苦しめられた台湾人夫との離婚調停を互角に戦うために、敢えて帰化申請に踏み切ったという信じがたい事例も浮上…、驚愕の最終回だ。

「それが1998年3月に夫と台湾に戻ってからが地獄の入口だったんです(笑)。まず、同居したくなかったのに、夫は両親と同居した方が節約できると強要。同居したものの、中国語は理解できないし、厨房は義母のものだし、短気な性格の夫は、証券会社に就職し、株式市場が危うくなると私に八つ当たりするかのような暴言を吐くようになりました」

 

態度豹変の夫と一族の専横ぶりに閉口

「米国では完璧なレディーファーストの立ち居振る舞いだったのに、夫は台湾に戻るとお山の大将に。重い荷物などは私に持たせ、私には私の友人との集まりにも『行くな』と言い、まるで籠の鳥状態に。やたらと、お前も仕事をしろ、稼げと言ってくるうえに、私の給料は完全に管理され、私だけお小遣い制。抗議すると『お前だけ日本に帰れ。でも子供は置いていけ。子供はお前の苗字じゃないからな』と罵倒して、しかもパスポートを隠されました。しまいにはもう発狂するかと思いました。『キレるでホンマ!』という気分です」(Yさんは関西出身)

ある時、Yさんのパスポートを夫が自分のズボンのポケットの中に隠しているのを知り、それを夫の留守中にそっと抜いて取り戻し、長女と着のみ着のままで日本へ帰国したという。だが、数日後、夫が詫びを入れにYさんの日本の実家まで追って来たので、Yさんの母親が夫に宣誓書を書かせ、拇印まで押させた。内容は「暴言をはかない。パスポートは隠さない、家族は仲良く」。現在それはモラハラによる離婚調停の証拠書類になっている。

「子育てに義務感もあって、私はこれで少しは懲りたかと、台湾に戻りましたが、夫は何も変わりません。常に自分が上、私を下と見て、何かといえば車から降ろされ、タイヤに足を踏みつけられたこともあったし、夜23時くらいまで残業していた時は怒鳴られて、家の鍵を閉められた挙句、翌日突き飛ばされたこともあったんです」(当時はDVの証拠として病院で診断書をとっておくという発想はなかったというが、突き飛ばされて身体にできた青アザの写真は残しておいたそうだ)

この辺りから、Yさんは興奮したのか、地の関西弁に拍車がかかり、テンションが高まる。

「そのうち、夫が自分の会社の秘書と浮気してるのもわかりました。彼はなんでも『ハイ、ハイ』ということ聞く、しとやかな女性の方がええんやろね。毎晩午前様で、週末もどこ行ってるかようわからへん。愛人がおるんはわかってたけど、ホンマはそれはそれでよかった。こっちになんやかんや求められるよりマシやし。スマホのIDが同じで同期していたから、GPSで毎週土曜ほぼ同じ場所に夫がいることは割れてたし…。おそらくそこで女と会ってたんやろね」


エスカレートするDVを前に娘と家出

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