注目ポイント
侯孝賢監督作品「悲情城市」は、1947年に起こった228事件を題材に、九份や金瓜石、基隆などで撮影をし、九份の写真館を営む文清の役を香港の俳優、梁朝偉(トニー・レオン)が演じている。その映画のデジタル版が228和平記念日の4連休前日から、34年ぶりに再上映されることになった。連休中はチケットが完売するほど老若を問わず大人気だった。

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「悲情城市」衝撃の映画 (ネタバレを含む)
2月24日金曜日、侯孝賢監督作品「悲情城市」デジタル版の上映が34年ぶりに台北でスタートした。1989年に初公開された台湾映画「悲情城市」は、英題を「A City Of Sadness」といい、その題の通り、とても悲しいストーリーである。
この映画は1945年の終戦直後、台湾が中華民国に返還されるところから始まり、228事件が与えた影響を中心に作られている。日本人観光客もご存じの九份や港町基隆を舞台に、戦後の台湾人の悲しみや苦悩、つらさ、そしてささやかな幸せが描かれている。
1989年に封切られた「悲情城市」を筆者は映画館へ見に行った。エンディングの衝撃は忘れない。四人兄弟の四男、聾啞者の文清(梁朝偉)は九份で写真館を営んでいた。戦死したり、やくざに殺されたりした兄弟の不幸や様々な悲しみを乗り越えて愛する人(金瓜石医院の看護婦役、辛樹芬)と結婚し、子供も生まれ、やっとこれから平和な生活が始まると観客に思わせた。私もそう思った。しかし、エンディングにむけて雲行きが大きく変わる。反体制派取り締まりのため、国民政府軍が山に踏み込み、反体制ゲリラを排除する。親族や友人が射殺されたり拘束逮捕されたりしたのを見て文清も妻と子供を連れて逃げようとするが行く当てもなく、結局写真館に戻ってきてしまう。彼は親子三人の家族写真を撮る。自らの運命を悟った最後の家族写真である。その3日後、文清は逮捕され連行される。妻は台北まで行って必死で夫の行方を捜したが、夫の消息はわからないままだった。
そして、1949年、大陸で共産党軍に敗れた国民政府が台湾に渡り、台北を臨時首都に定めた。
苦労を乗り越えてつかんだ幸せが最後にあっけなく奪われる恐怖と悲しみのどん底に落とされる、衝撃の映画だった。
台湾好きなら知っておいたほうがいい台湾現代史
1895年から50年間続いた日本占拠時代は終戦とともに終焉し、中華民国政府が台湾を接収した。しかし台湾省行政長官に任じられた陳儀は台湾人(本省人という)に対して圧政を行い、急激なインフレの状況下、大陸から来た政府軍(外省人という)による略奪、虐殺、強姦、不当逮捕、横領、賄賂、恐喝などが横行し台湾人の不満は爆発寸前にまでなっていた。
1947年2月27日、台北市の延平北路と南京西路の交差点一体で幼い子供二人を育てるために闇たばこを売って生計を立てていた林江邁(40)は、銃で武装した専売局取締官に殴打され大けがをした。それに憤慨した市民たちに追いかけられた取締官は逃げる際、威嚇のために発砲したが、運悪くそこに居合わせた陳文渓青年にあたって即死。翌28日、行政長官公署(現 行政院)前の広場に集まって抗議デモを行っていた一般市民に対して公署の屋上から憲兵が3丁の機関銃で掃射し、十数人が死んだ。これがきっかけで、台湾人の抗議運動と反政府運動が全国的に広がっていった。行政長官陳儀は武力での鎮圧を図り、多くの台湾人を連行、拘束、逮捕、虐殺した。国民党支配に反抗したり共産主義に共鳴したりすることを恐れ、政府は主に台湾の知識人や社会的エリートをターゲットにした。228事件直後に出された戒厳令は1987年に解除されるまで36年間も続き(これを白色テロという)、世界一長い戒厳令と言われている。