2023-02-26 観光

「深澳線」上のスイートホーム ——鉱山から文化の鉱脈へ

注目ポイント

台湾東北角の深澳支線は山と海に沿って走り、車窓からは美しい風景を楽しめる。

日本統治時代に当局が鉄道を敷き、これを機に集落は柑仔瀬から現在の後站(駅の裏側)へと移った。瑞芳駅は現在は一年を通して絶えず多くの人が行き交うターミナルだ。平渓や九份、金瓜石、水湳洞などへと向かう観光客がここで乗り換えるため、毎年400万を超える内外の旅行者が訪れており、瑞芳駅構内には英語や日本語、韓国語などの案内もある。

だが残念なことに、駅前(前站)のにぎわいに対して、線路の反対側の後站の古い町並みは時間が止まったかのように静まり返っている。駅前が開発される以前、後站は東北角全体で最もにぎやかな地域であり、「一日に四市」が立つというにぎわいを見せていたことなど想像もできない。

旅客を乗せて往来する深澳支線は、台湾東北角の産業の盛衰を見守ってきた。

古い町並みの文芸復興

私たちは龍安里の里長である柯瑞和に案内してもらい、この町のスポットをめぐった。後站の駅改札を出たところににたつ日本時代の神社跡の石灯籠、洗い出し仕上げの壁面とバロック式のペディメントがある廖建芳の古い民家、鉱山経営者‧李建興の「瑞三鉱業」の本部があった義方商行、かつてのにぎわいが想像もできない抜け殻の瑞芳旅社、復刻された軽便鉄道、天井のある路地や家屋を通りぬける路地など、数々のめずらしい建築景観がある。

近年、この古い町並みの振興のために柯瑞和は地元の多くの若者とともに地方創生に取り組んでいる。破損のひどい公共空間を整備し、放置されていた空間に、旅行者の休憩や土産物販売のために「瑞芳旅遊ロビー」を設けた。また、かつて鉱山労働者が坑内に入る時に手に持った「平安灯」をモチーフに、通りを色とりどりの提灯で飾っている。

東北角の交通の要衝である瑞芳駅。内外からの百万人単位の観光客が利用する。

私が離れた土地に別の人が

1987年、台金公司が正式に廃業すると、町は産業を失い、多くの人がここを去っていった。かつては、その繁栄ぶりから「小上海」や「小香港」と呼ばれた金瓜石も瞬く間に寂れてしまった。しかしこの時、静けさを取り戻した山の町の美しさに気付き、移り住んできた人もいる。

例えば「台北を離れたくても、それほど遠くへは移住したくない」と思っていた施岑宜と陳沢民夫婦は「水金九(水湳洞、金瓜石、九份を指す)」がまだ人気の観光スポットではなかった20年前に、一家そろって水湳洞へ移り住んだ。映画監督の呉念真も「私が後にした土地を選ぶ人もいる」と語っている。

「瑞芳は特別な場所です。山も海も川もあり、農業、漁業、鉱業があります」「水湳洞に移住しようと思ったのは、水金九の中でも最も美しい場所だと思ったからです。水湳洞には黄金瀑布、陰陽海、十三層遺址といった見どころもあります」と施岑宜は言う。

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