2021-12-01

「私と家族は政治難民として来た。自由は私たちにとって本当に重要だ」~全米初のベトナム系市長トゥリ・タ氏の言葉の重み~

© KP Productions

注目ポイント

1人のベトナム人移民としてアメリカにやって来て、後に市長に選ばれた経歴を語る中、トゥリ・タ(Tri Ta)氏は言った。「私たち家族は1992年に政治難民としてアメリカにやって来た。自由は私たちにとって実に重要なものだ。ベトナムの歴史について読んだことがあれば、数百万のベトナム人が自由を求めて命を失ったことは知っているだろう。私は自由の意味を知っている。現在に至るまで42年、ベトナムには自由がないのだから」。

 

バオ・グエン氏が初めてメディアの注目を集めたのは、2000年に前共和党上院議員ジョン・マケイン(John McCain,1936~2018)氏のリトルサイゴンでの発言に抗議した時だ。ジョン・マケイン氏はベトナム帰還兵として知られ、現役時代はベトナムで5年半もの間、拘禁された経験がある。

 

2000年、共和党の大統領候補だった当時、カリフォルニア州リトルサイゴンでキャンペーンを行っており、演説で「gooks」という言葉を使い、彼を捕虜にしたベトナム兵を形容した。

 

バオ・グエン氏はその後「あなたがこの言葉を口にした時、恨みが生まれる」と言い「gooksという言葉は、全てのアジア人にとってセンシティブな言葉というわけではないが、アメリカ人である彼の言うgooksとは私のこと。私たちはそういう見た目なのだから」と強調した。

(バオ・グエン氏、カリフォルニア「リトルアラビア」のレストランRozana Cafeを訪問)

 

テキサス州初のベトナム系市長アン・ミン・チュオン氏

2018年、テキサス州のハルトム・シティ(Haltom City)でこの州初となるベトナム系市長アン・ミン・チュオン(An Minh Truong)氏が選出された。

 

ベトナム戦争期中、戦闘機のパイロットとしてアン・ミン・チュオン氏はアメリカ兵と戦い、26歳でアメリカにやって来た。80年代、彼はテキサス州フォートワースで警察官の職に就き、異郷で嘲笑されながら、英語を話せない日々を耐え忍んでいた。アン・ミン・チュオン氏は警察官から潜入捜査官となり、その後、博士号を獲得し市議になった。

 

テキサス州もベトナム系アメリカ人の拠点の一つである。しかし、ベトナム系住人の多いカリフォルニア州ウェストミンスター市、ガーデン・グローブ市と異なり、ハルトム・シティにはベトナム系住人が約4%(5%はラオス系)しかいない。しかしアン・ミン・チュオン氏は60%の票を獲得し当選した。彼は多様化の進む都市を導くチャンスを得たことに誇りを持ち、市長就任宣誓式では英語、スペイン語、ベトナム語でスピーチした。

 

「彼らは30年前に集団でここにやって来た難民だ。こんな短時間で選挙政治に参加できたことこそ、非常に重要なのだ」と強調した。

 

2012年トゥリ・タ氏がカリフォルニア州ウェストミンスター市で市長に選出された後、カリフォルニア大学アーバイン校のリンダ・ヴォー(Linda Vo)教授は以下のように話している。

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