注目ポイント
1人のベトナム人移民としてアメリカにやって来て、後に市長に選ばれた経歴を語る中、トゥリ・タ(Tri Ta)氏は言った。「私たち家族は1992年に政治難民としてアメリカにやって来た。自由は私たちにとって実に重要なものだ。ベトナムの歴史について読んだことがあれば、数百万のベトナム人が自由を求めて命を失ったことは知っているだろう。私は自由の意味を知っている。現在に至るまで42年、ベトナムには自由がないのだから」。
11月2日、ミッシェル・ウー(Michelle Wu)氏がアメリカ・ボストン市長に選出され、ボストン初の有色人種系の市長、そして初の女性市長になった。また台湾系であることで、さらに話題となった。
アジア系の人民がアメリカの政治に関わることは珍しいことではなく、東南アジアの中でもベトナム系とフィリピン系の人々は政界で活躍しており、議員、連邦判事から市長まで、多くの人が当選を果たしている。以下では、アメリカ初のベトナム系市長トゥリ・タ氏、かつてジョン・マケイン氏を批判したバオ・グエン(Bao Nguyen)氏、テキサス州初のベトナム系市長アン・ミン・チュオン(An Minh Truong)氏の3名のベトナム系市長を紹介する。
全米初のベトナム系市長トゥリ・タ氏
2012年、カリフォルニア州ウェストミンスター(Westminster)市は、全米初のベトナム系市長トゥリ・タ(Tri Ta、中国名:謝徳智)氏を選出した。当時39歳だった。ウェストミンスター市はアメリカの「リトルサイゴン」を代表するコミュニティで、約3万5,000人のベトナム系住人がおり、所属するオレンジ郡には19万人近くのベトナム人が生活している。
アメリカの大多数のベトナム系住人は、1975年のサイゴン陥落後にアメリカにやって来たが、トゥリ・タ氏の経歴は違っている。彼の父親は共産主義を批判する書籍を出版し、1992年まで拘禁された。彼が19歳の時、父親が政治亡命し一緒にアメリカに渡ったのだ。
過去の取材でトゥリ・タ氏は、アメリカに来た後、すぐに英語を学んで大学に進学し、カリフォルニア州立大学で政治学の学位を取得。州議会議員のもとでき、またネイル専門誌「ベト・サロン」の編集者を務めたと語った。統計によると、カリフォルニア州のネイルサロンのスタッフの4分の3がベトナム人女性であるという。
トゥリ・タ氏の妻アン・ドアン(Anh Doan)さんは薬剤師で、2人は詩集を2冊、短編小説1冊を共著している。(『ボイス・オブ・アメリカ』トゥリ・タ氏単独インタビュー)
かつてジョン・マケインを批判した市長バオ・グエン氏
トゥリ・タ氏が市長に選出された後、2014年にはオレンジ郡のもう一つの「リトルサイゴン」ガーデン・グローブ市(Garden Grove)でも、ベトナム系市長バオ・グエン(Bao Nguyen)氏が選出された。彼はこの市で史上最年少の市長で、アメリカ史上2人目のベトナム系市長である。
バオ・グエン氏はタイの国連難民キャンプの国境なき医師団の診療所で生まれ、生後3か月の時に家族とともにアメリカにやって来た。カリフォルニア大学アーバイン校を卒業後に教師となった彼は、United Domestic Workersの構成員でもある。