2021-12-01

「私と家族は政治難民として来た。自由は私たちにとって本当に重要だ」~全米初のベトナム系市長トゥリ・タ氏の言葉の重み~

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注目ポイント

1人のベトナム人移民としてアメリカにやって来て、後に市長に選ばれた経歴を語る中、トゥリ・タ(Tri Ta)氏は言った。「私たち家族は1992年に政治難民としてアメリカにやって来た。自由は私たちにとって実に重要なものだ。ベトナムの歴史について読んだことがあれば、数百万のベトナム人が自由を求めて命を失ったことは知っているだろう。私は自由の意味を知っている。現在に至るまで42年、ベトナムには自由がないのだから」。

11月2日、ミッシェル・ウー(Michelle Wu)氏がアメリカ・ボストン市長に選出され、ボストン初の有色人種系の市長、そして初の女性市長になった。また台湾系であることで、さらに話題となった。

 

アジア系の人民がアメリカの政治に関わることは珍しいことではなく、東南アジアの中でもベトナム系とフィリピン系の人々は政界で活躍しており、議員、連邦判事から市長まで、多くの人が当選を果たしている。以下では、アメリカ初のベトナム系市長トゥリ・タ氏、かつてジョン・マケイン氏を批判したバオ・グエン(Bao Nguyen)氏、テキサス州初のベトナム系市長アン・ミン・チュオン(An Minh Truong)氏の3名のベトナム系市長を紹介する。

 

全米初のベトナム系市長トゥリ・タ氏

2012年、カリフォルニア州ウェストミンスター(Westminster)市は、全米初のベトナム系市長トゥリ・タ(Tri Ta、中国名:謝徳智)氏を選出した。当時39歳だった。ウェストミンスター市はアメリカの「リトルサイゴン」を代表するコミュニティで、約3万5,000人のベトナム系住人がおり、所属するオレンジ郡には19万人近くのベトナム人が生活している。

 

アメリカの大多数のベトナム系住人は、1975年のサイゴン陥落後にアメリカにやって来たが、トゥリ・タ氏の経歴は違っている。彼の父親は共産主義を批判する書籍を出版し、1992年まで拘禁された。彼が19歳の時、父親が政治亡命し一緒にアメリカに渡ったのだ。

 

過去の取材でトゥリ・タ氏は、アメリカに来た後、すぐに英語を学んで大学に進学し、カリフォルニア州立大学で政治学の学位を取得。州議会議員のもとでき、またネイル専門誌「ベト・サロン」の編集者を務めたと語った。統計によると、カリフォルニア州のネイルサロンのスタッフの4分の3がベトナム人女性であるという。

 

トゥリ・タ氏の妻アン・ドアン(Anh Doan)さんは薬剤師で、2人は詩集を2冊、短編小説1冊を共著している。(『ボイス・オブ・アメリカ』トゥリ・タ氏単独インタビュー)

かつてジョン・マケインを批判した市長バオ・グエン氏

トゥリ・タ氏が市長に選出された後、2014年にはオレンジ郡のもう一つの「リトルサイゴン」ガーデン・グローブ市(Garden Grove)でも、ベトナム系市長バオ・グエン(Bao Nguyen)氏が選出された。彼はこの市で史上最年少の市長で、アメリカ史上2人目のベトナム系市長である。

 

バオ・グエン氏はタイの国連難民キャンプの国境なき医師団の診療所で生まれ、生後3か月の時に家族とともにアメリカにやって来た。カリフォルニア大学アーバイン校を卒業後に教師となった彼は、United Domestic Workersの構成員でもある。

 

バオ・グエン氏が初めてメディアの注目を集めたのは、2000年に前共和党上院議員ジョン・マケイン(John McCain,1936~2018)氏のリトルサイゴンでの発言に抗議した時だ。ジョン・マケイン氏はベトナム帰還兵として知られ、現役時代はベトナムで5年半もの間、拘禁された経験がある。

 

2000年、共和党の大統領候補だった当時、カリフォルニア州リトルサイゴンでキャンペーンを行っており、演説で「gooks」という言葉を使い、彼を捕虜にしたベトナム兵を形容した。

 

バオ・グエン氏はその後「あなたがこの言葉を口にした時、恨みが生まれる」と言い「gooksという言葉は、全てのアジア人にとってセンシティブな言葉というわけではないが、アメリカ人である彼の言うgooksとは私のこと。私たちはそういう見た目なのだから」と強調した。

(バオ・グエン氏、カリフォルニア「リトルアラビア」のレストランRozana Cafeを訪問)

 

テキサス州初のベトナム系市長アン・ミン・チュオン氏

2018年、テキサス州のハルトム・シティ(Haltom City)でこの州初となるベトナム系市長アン・ミン・チュオン(An Minh Truong)氏が選出された。

 

ベトナム戦争期中、戦闘機のパイロットとしてアン・ミン・チュオン氏はアメリカ兵と戦い、26歳でアメリカにやって来た。80年代、彼はテキサス州フォートワースで警察官の職に就き、異郷で嘲笑されながら、英語を話せない日々を耐え忍んでいた。アン・ミン・チュオン氏は警察官から潜入捜査官となり、その後、博士号を獲得し市議になった。

 

テキサス州もベトナム系アメリカ人の拠点の一つである。しかし、ベトナム系住人の多いカリフォルニア州ウェストミンスター市、ガーデン・グローブ市と異なり、ハルトム・シティにはベトナム系住人が約4%(5%はラオス系)しかいない。しかしアン・ミン・チュオン氏は60%の票を獲得し当選した。彼は多様化の進む都市を導くチャンスを得たことに誇りを持ち、市長就任宣誓式では英語、スペイン語、ベトナム語でスピーチした。

 

「彼らは30年前に集団でここにやって来た難民だ。こんな短時間で選挙政治に参加できたことこそ、非常に重要なのだ」と強調した。

 

2012年トゥリ・タ氏がカリフォルニア州ウェストミンスター市で市長に選出された後、カリフォルニア大学アーバイン校のリンダ・ヴォー(Linda Vo)教授は以下のように話している。

 

トゥリ・タ氏の当選は、ベトナム系アメリカ人の政治コミュニティの成熟が一歩進んだことを証明している。今、ミッシェル・ウー氏がボストン市長に当選し、アジア系住人の政治参加が話題になっている。

 

『AP通信』は〈ミッシェル・ウー氏の市長当選はアジア系アメリカ人の一里塚〉と評し、学者ジェームズ・ライ(James Lai)の著書『アジア系アメリカ人の政治行動:郊外の変容(Asian American Political Action: Suburban Transformations)』を引用し、アメリカの3万〜12万規模の郊外エリアでは、アジア系が市長、市議に選ばれることが増えていると指摘している。またジェームズ・ライは以下のように述べている。

 

「もし彼ら(アジア系)がさらに一歩進みたいと考えるのであれば、これら政治ネットワークをさらにハイレベルに推し進めることができる」。

 


原文作者: 吳象元
原文責任編集者: 杜晉軒
原文校閲者: 杜晉軒
翻訳者: TNL JP編集部
校閱者: TNL JP編集部

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