2023-02-06 政治・国際

「台湾少年工の存在、日台の太い絆のひとつ」歴史研究家、林篤志氏が東京台湾の会春節講演会で講演

© 吉村剛史撮影

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第二次大戦中、神奈川県に設置された高座海軍工廠。ここでは日本の労働力の不足を補うために、台湾で募集された少年工らが寮生活を送りながら日々戦闘機の製造に携わっていた。台湾大学留学中に元少年工と出会った歴史研究家、林篤志さんがこのほど東京都内で講演し、日台の太い絆のひとつとして少年工らの足跡を紹介した。

台湾との交流を進める民間団体「東京台湾の会」(小川英郎会長)が2月5日、東京都豊島区内のイベントホールで歴史研究家の林篤志(はやし・あつし)さん(27)を講師に「春節講演会」を開催した。林さんは、第二次大戦中に神奈川県の大和、綾瀬、座間市にまたがって設置された高座海軍工廠で、局地戦闘機「雷電」製造に従事した「台湾少年工」の足跡をたどり、日台の絆のひとつとなった経緯を紹介した。

「台湾少年工 戦闘機を作った子どもたち」(日本橋出版)

林さんは1995年、愛知県生まれ。東京大学在学中に交換留学生として台湾大学に1年間留学し、卒業後は北海道新聞の記者となったが、台大留学中、偶然元少年工と出会った体験などから台湾少年工に関する調査を続けてきた。昨年1月には新聞社を退職し、大和市に移住。自身の論文などをベースに同6月、「台湾少年工-戦闘機を作った子どもたち」(日本橋出版)を出版した。

林さんは、大戦中の日本の労働力不足を補うために、1942年以降台湾の学校現場で募集された13歳~15歳を中心とする約8400人の海軍工廠の少年工について、時の台湾総督が長谷川清海軍大将であった背景などから解説し、「俸給もあり、上級学卒の資格も得られるという好条件からオール甲をとるような成績優秀者が選抜された」などと紹介。

戦後、台湾に帰った元少年工らは同窓組織「台湾高座会」を結成し、節目ごとに日本と交流。2018年10月にも神奈川県大和市で台湾少年工来日75周年を記念する歓迎大会が行われたが、林さんは「彼らを愛情深く支えた日本人らの存在もあって、元少年工らはそのまま日台の太い絆のひとつとなった」と強調。「こうした歴史を記録し、日台の絆を次の世代に伝えたい」などと語った。

主宰した東京台湾の会は、日本統治時代に台湾で生まれた「湾生」らが中心となって1985年「練馬方面台湾会」として発足。日台の民間交流を推進しており、この日は会員らも多数出席。林氏を囲んでの春節の懇親会も開かれた。

台湾少年工らの足跡について講演する林篤志さん(吉村剛史撮影)


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