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2023-02-06 政治・国際

【バック蓬莱】②有村産業フェリー「飛龍」船上の担ぎ屋おじさん

© Photo Credit: GettyImages

注目ポイント

民主化が進むとともに世相も激しく変化した台湾社会。いつの間にか見なくなった日常の光景や人々の交わり方も。仕事や研究活動を通じて長年台湾と向き合ってきた筆者が、ほんの少しむかしの台湾の姿を掘り起こし、振り返ります。今回はかつて日台間を結んだ国際定期航路フェリー船上の「担ぎ屋」や北部の港町・基隆の情景。

「アンタ、酒・煙草持ってるか?」。

60代後半と思しき台湾人のおじさんが、トランプに興じていた男性ばかりの日本人若者グループに声をかけた。

若者たちは今持っている煙草数箱と、飲みかけの缶ビールを出しあっておじさんの前に並べた。一番外交的と思われる若者(ここでは仮にA君としよう)が、「これだけもってます」と満面の笑みを浮かべて答える。しかし、おじさんは「ちがう、みやげの酒・煙草ら」とひとこと。

「なんだ、それなら持ってませんよ」とA君。

おじさんはニッと笑って、「台湾の金やるから、酒と煙草持って税関を通る、いいか」と、大量の酒・煙草を前に番をしているおばさんのいる方向を指さしながら、小声で言った。

1992年7月25日、沖縄県・石垣島から台湾・基隆に向かう有村産業のフェリー二等船室でのこと。今回も前回にひき続き、「台湾のおじさん」の話を。

有村産業のこの航路は、名古屋港を出港し大阪、那覇、平良(宮古島)の各港を経て石垣港に至り、ここで出国手続きを経て基隆港へと至る国際定期航路だった。しかし1999年に母体である有村産業が経営破綻、以降航路は存続するものの経営問題で紆余曲折を経て2008年6月に全航路運航停止。2023年1月現在これに相当する航路はない。

ところで1992年7月1日時点で増補してあったワタシのパスポートには、出入境のスタンプが押せるスペースは既に半ページ程度、しかも有効期限まで6カ月と18日。

背景を説明すると、筆者はこの頃、出張で頻繁に台湾と韓国を訪れていた。

1990年代初頭まで日本と台湾、および韓国の間には査証相互免除協定が締結されていなかったことに加え、当時所属していた組織の規定により出張の度ごとに「多次-multiple」ではなく、「1回限り有効-single」の短期滞在査証(ビザ)を取得しなければならなかった。

1回のビザ押印につき、パスポート1ページを要するので台湾・韓国のビザを10回ほど取得すると、出入境記録を押印するためのパスポートの余白16ページの半分以上は失われてしまうのだった。

とにもかくにも、こんな状況。すぐさま新規のパスポートを申請しなければならない。ならばこのパスポートの記念にどこかおもしろい出入境スタンプが欲しいと考えていた。

そうだ。石垣出境、基隆入境のスタンプだ!夏休みはこれだ!

思い立つや、ただちに懇意にしている旅行代理店に連絡、チケットをとった。

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