2023-02-05 観光

苗栗大湖の歴史を伝える 樟脳の道「樟之細道」を再発見

注目ポイント

幼い頃の記憶では、祖母のコートからはいつもうっすらと樟脳のにおいが漂っていた。それは、普段は着ない「よそいき」の服で、ずっとしまわれていた衣類の証拠だった。この香りは、かつて台湾が樟脳王国であった時代につながる。 百年前の苗栗の大湖に、茶や樟脳などの物資を運ぶ「老官路」という山道があった。全国の優れた教師に与えられる師鐸賞に輝いたこともある彭宏源は、この「老官路」を探し当て、その再現に貢献した人物だ。今は古道の草を刈って整備したり、ガイドを務めるなどして、その歴史を伝えることに情熱を注ぐ。

老官路の歴史を彭宏源が説明してくれた。地元で樟脳油精練を大きく手掛けていた呉定新と葉春霖という人物が、大湖から卓蘭に至る道の開通を1883年に政府に陳情したことに、この道の歴史は始まる。交通の必要性と、原住民との衝突に備えた防衛のための「隘勇路」の役割を持ち、それなりの規模のある道として拡張整備された。台3線より52年も早く作られたこの道は、防衛、通信、公務、商務、運送の役割を一身に担っていたが、傍らに台3線が開通すると徐々に廃れ、やがて草木に覆われて自然に回帰してしまった。

豪雨の後、倒れた竹を鉈で刈りながら道を維持する彭宏源。
京都嵐山のような竹林

初秋の大雨が過ぎた後、彭宏源が『光華』取材チームを老官路に連れて行ってくれた。トレイルの北側入り口は、クスノキの幹に掛けられた「水頭福徳祠」という札が目印で、そこから坂を上っていく。道の脇には千年桐(アブラギリの仲間)の花が点々と散っており、台湾原生のタカサゴユリもタネをつけている様子があちこちに見える。古道のそばのイチゴ園では女性が一人で除草している姿があり、丘陵地の農村は車の往来もなく、静けさに包まれていた。

高く登るほど大自然の趣が濃くなり、水分をたっぷり吸った大地からはツル植物やススキなどが伸び放題になって道をふさいでいた。彭宏源がそれらを鎌で刈って道を作ってくれる。草や枝で手足が切れても彼は少しも気にしない様子で「いつものことですから」と言う。

1キロほど進むと大きな竹林が現れた。そびえ立つ竹のこずえから木漏れ日が射し、フィトンチッドたっぷりといった森林浴の清涼感に包まれ、身も心も洗われる。まるで京都嵐山の竹林を歩いているようだ。竹林を抜けると開けた場所に出た。眼下の渓谷にたたずむ農村には、きっと世の争いごととは隔たれた穏やかな暮らしがあるだろうと想像してみる。

この古道は草を踏みしめる柔らかな道で、上りや下り道では曲がりくねる木の根が階段代わりとなり、路面に枕木や石を埋めて歩きやすくしてくれている箇所もある。

渋みの後に甘味を感じる油柑。現在は自治体が栽培を推奨する苗栗県の特産品だ。
キョンの声に追い払われて

土壁の下地に竹を用いる伝統工法を、客家語で「併仔壁」と呼ぶが、山道の途中で併仔壁の廃屋に出くわした。住まいと豚小屋、牛小屋があったようだが、後ろの壁は破れており、隙間から中を覗こうとすると突然キョンが鋭い声で鳴いた。まるで招かれざる客を追い払うようなその声に、我々は慌てて表側に戻った。家の右前方に形の美しい老樹がある。そこから少し行ったところで足元をよく見れば、石造りの水路の遺構があるのに気づくだろう。

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