注目ポイント
欧州ではウクライナでの戦火がやまず、東アジアも台湾海峡の暗雲を包含したまま迎えた2023年。気鋭の論客として知られる国際政治学者、村田晃嗣・同志社大教授は、台湾の総統選をはじめ、ロシア、ウクライナの大統領選、米大統領選などを控えた2024年にこそ、真の国際政治の激動がやってくると指摘する。それゆえこの1年、日本は着実な外交・安全保障政策で歩を進めねば危ういが、それは内政の安定が維持できるかどうかにかかっている。
ロシアの焦燥 戦争の正体
ウクライナで戦争が続く中で、2023年が始まった。この戦争が今年中に終息するとは、なかなか楽観できない。
そもそも、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領はなぜ無謀な侵略を企てたのか。もちろん、様々な理由があろうが、根底にあるのは、ロシアが大国の地位を喪失することへの焦りであろう。かつて大阪で万国博覧会が開かれた1970年には、当時のソ連の国内総生産(GDP)はアメリカの4割あった。ところが、91年にそのソ連が崩壊した時には、それが14%にまで低下していた。そして、今日では7%である。ロシアのGDPは韓国より小さく、その貿易総額は台湾より少ない。中国と比較しても、GDPでも人口でも1割にすぎない。これ以上ロシアが没落する前に、ウクライナを完全に支配し、大国としての最低限の基盤を確保しようと企図したのであろう。
三つの分野では、ロシアはまだ大国の地位にとどまっている。まず、ロシアは世界一多くの核弾頭を保有する核大国である。また、ロシアは資源エネルギー大国である。そして、ロシアは国際連合安全保障理事会の常任理事国として、拒否権を行使できる。これらを総動員して、ロシアはウクライナ侵攻を継続しているのである。
この戦争は、決して一つの戦争ではない。少なくとも三つの戦争の複合体である。第一に、誰が見ても自明なように、ロシアとウクライナの間の軍事紛争である。第二に、これはロシアとヨーロッパと間の価値観をめぐる闘争である。国際政治を分析する際に、軍事力や経済力と並んで重要なのが、この価値観である。人も組織も国も、負けるとわかっていても、あるいは、損すると知っていても、自分の信じるもののために戦うことがある。1789年のフランス革命以来、ヨーロッパは多くの革命、戦争で血を流しながら、価値観を構築してきた。それは自由・平等・博愛であり、基本的人権の尊重であり、国境の不可侵である。今、ロシアがそうした諸価値を土足で踏みにじろうとしている。これを座視すれば、ヨーロッパはもはやヨーロッパではなくなってしまうのである。そして第三に、ウクライナがロシアに対抗できる主要な理由は、アメリカをはじめとする西側諸国が支援しているからであり、ロシアが継戦できる少なくとも一つの理由は、中国が間接的に支援しているからである。その意味で、この戦争は米中の覇権戦争の一角をなしている。
崩れゆく日本国憲法の“前提”
筆者の住む京都市はウクライナの首都キーウと姉妹都市である。この二つの古都の間には8000キロの距離がある。日本から見れば、ウクライナはまさしく地の果てなのである。にもかかわらず、われわれ日本人も並々ならぬ関心を抱いて、この戦争の趨勢を追いかけ、ウクライナに協力しようとしている。それには、いくつもの理由がある。第一に、端的に言って、この戦争はエネルギーと食糧を人質にした戦いである。米ロは双方を持っており、ウクライナにも豊富な食糧がある。ところが、日本は両方を持たない。当然、日本の経済は大きなダメージを受け、国力が低下する。国力の低下は通貨にも反映し、円安基調が続いている。この戦争は、われわれの暮らしと経済に直結しているのである。第二に、戦争は8000キロの彼方で展開しているが、侵略の張本人であるロシアはわれわれの隣人である。また、われわれもロシアとの間に領土問題を抱えている。北方領土問題である。第三に、やはり、ロシアが国連安保理常任理事国だからである。日本国憲法はその前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義」に信頼し、9条で戦争の放棄を謳うなど、明らかに国連憲章を前提にしている。いつの日か国連による平和が実現する――これが日本国憲法の前提であり、悲願なのである。ところが、その国連による平和を安保理常任理事国が蹂躙している。われわれの憲法が前提とする世界イメージが崩れようとしているのである。