注目ポイント
日清戦争(1894~95)の結果、下関条約によって台湾は1945年まで約半世紀の間、大日本帝国の統治下に置かれた。台湾医学の先駆者となった杜聡明氏の三男として生まれ、戦後、米国で世界的な毒性学の権威となり、日本の大事件解決にも協力した杜祖健氏が、台湾から日の丸が去ったころを振り返り、台湾人としての心情を記録する。
陳儀は一時逃れで台湾人の要求を承諾。大陸から援軍を呼ばないと虚偽の約束をした。
3月10日頃のことだと思うが、夜明けから機関銃の音が鳴り響いた。後になって基隆から中国兵が上陸し、無差別に住民を殺していたことを知った。やがてその殺戮行為は全島に広がり、今なおどれほどの台湾人が殺されたか正確な統計がない。日本の高等教育を受けた知識人などを中心に2万人から5万人が殺されたと言われている。(続く)