2023-01-16 政治・国際

【アンソニー・トゥ回顧録】①  日の丸が去ったころ

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注目ポイント

日清戦争(1894~95)の結果、下関条約によって台湾は1945年まで約半世紀の間、大日本帝国の統治下に置かれた。台湾医学の先駆者となった杜聡明氏の三男として生まれ、戦後、米国で世界的な毒性学の権威となり、日本の大事件解決にも協力した杜祖健氏が、台湾から日の丸が去ったころを振り返り、台湾人としての心情を記録する。

ある者は大学病院の一等室を自分の住家として占領し、部屋代を払わない。台湾人は日本の植民政策から解放されて、今度は自分たちが台湾を治めるものと思っていたが、その夢は完全に破壊された。今までの台湾の常識は通用しなくなった。

ある役所を中国人が接収した。日本人の役人が提出した財産目録に漢字で「金槌」(かなづち)と書かれていた。接収に来た中国人は日本人にご馳走してその「金の槌」を持って来てくれ、と要請した。日本人は不思議に思って「金槌」を持ってきた。その中国人は「これではない」と大変立腹した。文字通り「金」で作られた槌だと思っていたのだ。

また水道の蛇口の栓を回すときれいな水が出てくる様子に感心した別の中国人は、街で水道の蛇口を買ってきて、壁に埋め込んだが栓を回しても水が出ないので不良品なのかと思ったという。この時期のこういう笑い話は枚挙にいとまない。

つまりは文化水準の低い連中が、文化水準の高い台湾の人を統治に来たということで、いたる所でこういう類の逸話が生まれていった。

 

“祖国”中国に対する失望

終戦時に“祖国”を愛した熱情はやがて失望に変じた。幻想の期間はわずか1年ぐらいであった。

当時台湾ではやった言葉は「昔われわれは犬を養っていたが犬は家の番をするなど役に立つ。しかし今は豚を養っている。豚はただ飯を食べて寝るだけで台湾のためにならない」。犬とは日本人のことを言う。豚は大陸から来た中国人を言う。台湾人は人間だから二脚と自称していた。

ここにきて台湾人は初めて日本人の清廉さに気がついた。日本人には悪いところもあるが清潔で貪欲さがない。中国人にはない優良な気性を有している。両者の民族性の違いを台湾人は、初めて直視したのであった。

 

228事件で機銃掃射を受ける

終戦当時は経済の混乱で人々の生活はとても苦しかった。

常軌を逸した大陸のインフレも天文学的なすさまじさで、その影響は台湾にも及んだ。

台北の大稻埕太平町(現南京西路)でヤミ煙草を販売していた女性が、中国大陸からきた外省人警察官ら取り締まりにあたっていた官憲による摘発を受けた。女性は土下座し、許しを懇願したが、殴打されるなどの暴行を受けた。これに同情して集まった民衆に対し、取り締まり側は威嚇発砲。その弾は無関係の台湾人に命中し、死亡させたにも関わらず、警官らはそのまま立ち去った。

これが原因となって多くの人が台湾総督府庁舎(現総統府)に置かれた台湾省行政長官公署(のち省政府)に対し、抗議デモを展開する騒ぎとなった。

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台湾総督府庁舎(現総統府)
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