2023-01-23 流台湾

【片倉佳史の台湾風景散歩①】阿里山と日本人  台湾鳥界の帝王「ミカドキジ」に出会う

© ミカドキジ(帝雉)は高海抜地域に暮らす台湾固有種。日本統治時代から天然記念物の扱いを受けていた珍鳥である。

注目ポイント

阿里山は台湾が世界に誇る森林リゾート。全域が国家森林遊楽区の管轄下にあり、自然生態の研究と保護が実施されている。季節を問わず、行楽客で賑わう景勝地だが、ここにもまた、日本との深い歴史的関わりがあった。同時に、ここは珍鳥・ミカドキジ(帝雉)の姿が見られる土地でもある。

小笠原観景台からの雲海 阿里山と台湾の最高峰・玉山との間には大きな谷間があり、ここに雲海が広がる。冬から春にかけてはカンヒザクラ(山櫻花)も咲き、山に彩りを添える。

台湾が世界に誇る森林リゾート

台湾の南部。嘉義県の山岳部に位置する阿里山は、台湾が誇る一大森林リゾートである。全域が国家森林遊楽区の管轄下にあり、自然生態の研究と保護が実施されている。日本統治時代に林業基地として開かれ、マラリアのない保養地としても知られていた土地である。

阿里山とは独立した山峰ではなく、海抜2000メートル前後の広範な地域を示している。1895(明治28)年に台湾が日本に割譲されるまで、台湾の山岳地帯は前人未踏の地であった。険しい地形に阻まれているだけでなく、強い縄張り意識をもつ原住民族の人々の存在、そして、低地ほどではないにしても、疫病や風土病が蔓延する状況もあって、この地に足を踏み入れるのは大きな困難を伴った。

1896(明治29)年、日本人による最初の探索隊が阿里山に入った。陸軍歩兵中尉の長野義虎(ながのよしとら)という人物が台湾総督府民政局の依頼を受け、1月と9月の二度にわたって台湾の山岳地帯を調査したことが記録に残る。また、現在は玉山と呼ばれている霊峰・モリソン山に初めて登頂したとも言われる。なお、この山は1897(明治30)年6月28日、「新領土にある富士より高い山」ということで、新高山(にいたかやま)と改称された。命名者は明治天皇であった。

戦前に撮影された新高山脈の登山風景 長野義虎は1896年に阿里山を探索しており、9月28日にモリソン山(後の新高山、現称・玉山)の山頂にたどり着いた。日本統治時代に発行された『台湾国立公園写真集』より。なお、長野を最初の登頂者とすることには異説も存在する。

日本人の名が地名に残るケースも

現在、阿里山には遊歩道が整備されている。ここを歩き、森林浴を楽しむことが観光のメインとなるが、ぜひとも海抜3952mの玉山の雄姿は眺めておきたい。阿里山にはこの山を眺められる展望台がいくつかあり、特に對高山と祝山が知られている。前者は海抜2350m、後者は2451mとなっており、早朝は夏場でも肌寒く、冬場には0度近くまで気温が下がる。

祝山の名は日本統治時代の民政長官・祝辰巳(いわいたつみ)に由来する。祝は山形県上山(かみのやま)出身で、1896(明治29)年に台湾に渡り、1906(明治39)年11月13日に後藤新平のあとを継いで民政長官に就任。翌々年5月22日に現職のまま死去している。

祝に限らず、阿里山には日本人の名が地名に用いられたケースが散見できた。現在、阿里山渓と呼ばれる河川は「阿里山開発の父」とされた林業学者・河合鈰太郎(したろう)にちなんで、「河合渓」と呼ばれ、曾文渓は「台湾鉄道の父」とされた長谷川謹介にちなみ、「長谷川渓」と呼ばれていた。さらに、現在は「自忠」とされている地名は、第4代台湾総督の児玉源太郎にちなんで「児玉」とされていた。現在もなお、近くには「児玉山」の名が残っている。

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