注目ポイント
旧暦の3月、台湾各地で年に一度の媽祖の祭典が行なわれる。多くの廟の媽祖が「進香」のために廟から出ると、通りでは住民がこぞって神輿をお迎えし、信者と触れ合う。中でも台中の大甲媽祖と苗栗県通宵の白沙屯媽祖の活動が最も有名で、ディスカバリーチャンネルは大甲媽祖の巡行進香活動を世界三大宗教祭典の一つとして紹介した。また2010年、文化部文化資産局は「大甲媽祖巡行進香」と「北港朝天宮迎媽祖」「白沙屯媽祖進香」を国定の重要民俗活動に指定した。媽祖信仰は世界的な無形文化遺産であり、台湾は世界の媽祖信仰の中心地なのである。
文・鄧慧純 写真・林旻萱 翻訳・山口 雪菜

沿道の人々が駆け寄る神輿に安置されているのは、台湾一の女神——媽祖である。言い伝えによると、北宋の時代、巫女だった林黙が昇天すると、福建省沿海地域の漁民の守り神とされたが、しだいにその霊験があらたかとなり、「水」と関わるすべてのものの守護神とされるようになり、水利神、農業神とも呼ばれるようになった。宋代以降は多くの皇帝が媽祖に称号を与え、清代初期に施琅が台湾を平定した際には、媽祖の御加護があったと上奏したため、康熙帝は「天后」の称号を与えた。こうして朝廷からの推奨もあって媽祖信仰はますます盛んになり、台湾で媽祖信仰が安定して根を下ろす基礎となった。

台湾に根を下ろした媽祖信仰
台湾は移民社会である。初期には中国大陸の泉州と璋州からの移住者が多かったが、出身地の違いから両者による資源の争奪が激しく、百年にわたって紛争が絶えなかった。1860年以降、武装しての戦いはようやく収まり、移住者たちはそれぞれの土地に根を下ろし始めた。村に共通の信仰の場である廟を建てる時、朝廷が推奨する媽祖を祀る地域が多かった。清華大学人類学研究所(大学院)の呂玫鍰准教授によると、これがエスニックや出身地を越えて、漢人移住者の間で媽祖が主たる信仰対象となった要因だとという。
媽祖には「天妃」「聖妃」「天后」などの朝廷から与えられた尊称がある他、台湾では親しみを込めて「媽祖婆」「婆啊」「姑婆」「娘媽」などとも呼ばれる。中央研究院民俗学研究所の兼任研究員·林美容は、これら親族を呼ぶような名称は、媽祖に対する台湾人の親しみを示していると説明する。家族や親戚の年配者のように、どんなことも相談しお願いできる存在なのである。
各地で異なる媽祖婆
長年にわたって媽祖信仰を研究している呂玫鍰は、昨今盛んな「媽祖の巡行」についてこう語る。「進香」と「遶境(巡行)」は、伝統宗教において大きく異なる意義を持つ。かつて「進香」というのは、信者が地元の廟に随行して、祖廟やより歴史の長い廟に参拝するという、廟と廟の上下関係を示すものだった。「遶境」というのは神が地域を見回る行事で、地域を浄化し信者を守るという意味が込められている。しかし今日は、進香と遶境の意味が混同し、廟の上下関係は強調されず、互いを参拝する平等な交流となっている。
呂玫鍰は、大甲媽祖と白沙屯媽祖の進香には異なるスタイルがあるという。台中の大甲鎮瀾宮は台湾の媽祖信仰を代表する廟の一つで、年に一度の巡行と進香の活動では、大甲を出発してから9日をかけて台中、彰化、雲林、嘉義の4県を巡るというものだ。その距離は300キロに達し、嘉義の新港奉天宮に到着すると、新港の媽祖とともに誕生日を祝うのである。