注目ポイント
沖縄から台湾まで711㎞離れています。沖縄に雪が降らないのだからそれより南の台湾に降るはずがないと思っている方もいるのではないでしょうか。もちろん台湾には富士山より高い山もあるし、三千メートル級の山もたくさんあります。日本は毎年東日本、北日本のどこかで雪による被害が出ています。でも、台湾では雪が積りでもしたものならみんな大喜びで一目見ようと殺到し大渋滞が起きます。台湾人にとって雪はまだ珍しいようです。
凶暴な雪とロマンティックな雪
今年のクリスマス、東北地方を中心に全国的に広い範囲で寒波に見舞われ雪が大量に降り積もりました。その結果、停電や除雪作業中の事故、交通マヒ、車の立ち往生など深刻な事態が各地で発生しました。その一方でスキー場に降る雪、クリスマスイブの夜に降る雪、3月に東京駅に降る名残雪などは日本人にとってなくてはならない冬の景色の一部となっています。俳優加東大介が実体験をもとに1961年に「南の島に雪が降る」という本を出しました。ニューギニアの部隊兵士の慰安と士気高揚のため演芸分隊が作られ、飢えとマラリヤに苦しむ兵隊に毎日芝居を見せていたことが書いてあります。雪が積もった甲州街道が背景の舞台で紙で作った雪を降らせると稚拙な偽物の風景にもかかわらず懐かしさのあまりいつも大歓声が上がるのですが、ある日の観客からは歓声がなく、不思議に思った加東氏が舞台の袖からそっと覗くと皆泣いていたそうです。聞くとその日の観劇部隊は東北の部隊だったそうで、南国にいると特に日本の雪景色が心に刺さるようです。
台湾の雪
終戦まで富士山は日本一高い山ではありませんでした。1895年から50年間台湾は日本統治時代で、台湾の南投県にある最高峰玉山は標高3952m、新たに富士山よりも高い山が現れたということで「新高山」と名付けられました。日米開戦の日時を伝える暗号電文「ニイタカヤマノボレ1208」の「ニイタカヤマ」とは玉山のことです。苗栗県と台中市の間にある雪山は3886mで新高山の次に高いということで統治時代は「次高山」と呼ばれていました。わかりやすいですね。その他台湾の中央山脈には合歓山3115m、阿里山2663mなど高山が目白押し。当然そんな山は毎年雪が降ります。そんな高山の中で合歓山はつい最近まで台湾唯一のスキー場がありましたが、スキーができるほど良質で安定した積雪がないということで去年閉鎖されてしまいました。筆者も昔、中華民国滑雪協会(滑雪はスキーの意)に申し込んで団体ツアーで合歓山へスキーをしに行ったことがありますが、山荘はお湯が出ないし、蛇口から出る水は茶色だし、それよりも何よりもゲレンデらしきスロープには10㎝程度積もった雪が50メートル四方くらいしかなく、がっかりして三泊四日台湾人参加者とおしゃべりばかりしていた思い出があります。台湾人参加者はがっかりしながらも時おり外に出て楽しそうに雪で遊んでいました。

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台北市の雪
台北市に雪が降るか、と聞かれたら私は「降る!」と答えます。セコイなぞなぞのような問答でごめんなさい。台北の街中の平地では記録が残っている限り降雪は一度もありません。実は台北市には陽明山国家公園も含まれているのです。陽明山は標高1120mでそれほど高くはないのですが、数年に一度くらい雪が降ります。そしてたまに積もります。とは言っても5~10㎝程度ですが。たいていの場合、そのあとすぐ雨に変わって、せっかくの銀世界があっという間に消えてなくなります。いったん雪が降ったら台湾のケーブルテレビのニュース番組ではそのニュースがひっきりなしに流れます。そしてそのニュースを見た市民が平日でも昼間でもバイクや車で雪見に行きます。陽明山に登る主な道路は北海岸から1本、市内から3本あるのですが、どの道も大渋滞。轍や靴や排気ガスでシャーベット状になった雪は、手の届く範囲はすでに灰色に変色しています。筆者の知人のお子さんは北海道に旅行に行くまで雪は灰色だと本気で思っていたそうです。にっちもさっちもいかなくなった陽明山の山道でラッキーな親子は踏み荒らされていない白い雪を見つけて雪だるまを作ったり雪合戦をしたりしています。渋滞なんかなんのその、とても楽しそうです。