2022-12-13 政治・国際

六四事件、法輪功、台湾海峡危機… 中国共産党指導者 3代目 江沢民氏が上海で死去、在任中のキーワードは

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注目ポイント

1995年、江沢民は両岸関係の発展と中国の平和的統一の促進に関する8つの提案を打ち出し、平和的統一と「一国二制度」の理念を実現する方法を明示した。 2000年の台湾総統選挙前、両岸問題について問われた江氏は曹植の「豆を煮るに萁を燃やす」を暗誦していた。

1999年、江氏は多数におよぶ法輪功会員の逮捕を命じた。そして台湾に強硬的な姿勢を示し、第三次台湾海峡危機の勃発につながった。これらを批判する側からは、江氏には中国の政治制度の改革を促進する意志はなく、独裁国家の幕開けになったともいわれている。
 

江沢民、「江八点」で第三次台湾海峡危機を引き起こす

ETtoday紙の報道によると、1995年、江氏は両岸関係の発展と中国の平和的統一の促進に関する8つの命題、通称「江八点」を打ち出し、移行期の問題解決方法など、平和的統一と「一国二制度」の理念を実現する方法を明確に言及したという。 江氏は、「祖国統一の早期完成は、中華民族の共通の願いである。 統一を無期限に延期することは、すべての愛国心がある同胞が望まないことだ」と考えていた。

しかし同年4月8日、李登輝氏は、統一問題を解決するためには、現実主義を怠らず、歴史を尊重し、両岸分断の現実に照らして実現可能な統一方法を模索しなければならないとする6項目の正式回答(通称「李六項原則」)を発表した。 1995年の訪米時、李氏の「人民の願いは私の胸にある」という演説が中国当局に二国論を唱えていると見なされ、台湾海峡両岸の関係は急転し、第3次台湾海峡危機へと直結することとなった。 

その後、1996年には李登輝氏が台湾企業の大陸への投資に対して「まずは忍耐」(「戒急用忍」)という考えを示し、1995年と1996年は江沢民政権下の近代両岸関係で最も緊張した時期であった。

2000年3月8日、台湾の総統選挙を前に、江氏はメディアから「当選したら大陸を訪問したいと言っている台湾の有力『候補』3人を歓迎するか」と問われた。江氏は歓迎すると言いながら、曹植の詩「七歩」を引用して、「台湾を独立させたいなら、この質問は私たちが深く困っていることを意味します。 どうすれば自立できるのか? 同じ根っこから生まれてきたんですね。 そうでしょう?」。2000年3月18日、民進党の陳水扁氏が総統に選出された。
 

胡・習の時代を経て江氏の権力は今、衰退の一途をたどっている

Yahoo Newsによると、江氏が総書記に就任した後、取り巻きを多く登用して、自身を中心とした江派(上海閥とも呼ばれる)を形成したという。 第16回、第17回共産党大会では、上海閥は呉邦国、賈慶林、曾慶紅など、中央政治局常務委員に名を連ねることになった。

しかし、継承した胡錦濤は、反体制派を切り捨てるという目標を見失うことはなかった。2006年、上海閥の中心人物であった陳良宇が上海市社会保険基金事件への関与を理由に解任されたが、これは胡錦涛が反腐敗の名目で上海閥を取り締まったと海外メディアは報じている。 2007年、胡錦濤は習近平を上海市党委書記に任命し、昇進の道を歩ませた。 学者たちは、習近平の派閥意識は不明確であり、江氏の上海組と胡錦濤のグループのパワーバランスであると見ていた。

2012年、中国共産党第18回全国代表大会で総書記に選出された習近平は、厳しい反腐敗運動を開始し、上海閥の主要メンバーや同グループを排除した。2022年の第19回全国代表大会で上海閥の唯一のメンバーだった韓正が再選したが、常任委員に再任されないばかりか、中央委員からも外れることになった。

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