注目ポイント
一つの都市を理解する際、市場は手掛かりに満ちた場であり、店はその案内人である。今月号の『光華』では、台北大稲埕の迪化街と、台北花市をご案内する。
黄長生薬行の店内に入ると、テーブルの上に生薬を包む紙が並べられている。後ろの棚から生薬を取り出して1回分ずつの量に分けて包んでいく。店内は漢方薬の匂いに包まれ、年配の顧客がここに薬を買いに来る。
薬材を包むピンク色の紙には、古めかしい薬材の絵と標語が書かれていて、煎じ方の説明も書かれている。炊飯器の内鍋に薬材を入れ、外鍋に水を2カップ入れてスイッチを入れるだけというもので、薬を煎じるには手間がかかるというイメージがくつがえされる。
黄長生薬行は、煎じ薬を簡単に作れるようにしただけでなく、外国からの来訪者にも生薬に触れてもらおうと、さまざまな商品を開発している。欧米からの顧客にはホットワイン用のスパイスパック、日本人には足湯用の生薬や漢方薬入浴剤、抗菌薬入浴剤、妊婦のための入浴剤や薬膳セット、新生児用のヨモギ入浴剤などがある。廖庭妍によると、欧米人は東洋の香料に興味があり、台湾風の煮込み料理に使う香辛料パックにも関心がある。漢方のティーバッグはハーブティーと似ていて彼らの文化に近いので、受け入れられやすいという。
黄長生薬行は現在でも昔からの方法で炮製(薬の精製)を行なっている。「炮製の最も重要な意味は、その過程で薬性を変え、薬材の汚れを落とし、最大の効能を発揮させる点にあります」と話す黄秀蓁は、お客との会話の中でも生薬の知識を伝え、人々の日常生活の中に漢方薬を取り戻したいと考えている。

各地の物産で大晦日の料理を
かつて福建省同安から大稲埕へ来た人々は、港を通して中国大陸との貿易を開始した。こうして各地の物産の売買をする人々が迪化街に集まるようになり、李日勝の祖父もその中にいた。
祖父が十代の時に迪化街に商売をしに来て以来、家族はみなこの土地に根を下ろした。李日勝の母親である王麗蘋は、李家に嫁いでから舅姑の傍らで商売を学び、1986年に「李日勝有限公司」を創設し、息子にこの会社と同じ名前を付けた。今は家業を継いでいる李日勝は、迪化街での思い出をこう語る。「幼い頃、この一帯は華やかな台北とは違い、とても伝統的だと感じていました。この『伝統的』というのは悪い意味ではなく、古くからの文化や物事が残っているという意味です。ここでは、ご近所同士がみな、だれがどこに住んでいるか知っていて互いに挨拶を交わします。台北の他の町ではあまりないことです。暮らし方も違います。午後6時を過ぎると通りには人がいなくなりますが、それは活気がないというのではなく、みな休んでいるのです」