注目ポイント
一つの都市を理解する際、市場は手掛かりに満ちた場であり、店はその案内人である。今月号の『光華』では、台北大稲埕の迪化街と、台北花市をご案内する。
文・鄧慧純 写真・林格立 翻訳・山口 雪菜


大稲埕の迪化街

台北の起業家の町
迪化街は台北で最も早くから完備した商店街として商業が発達した地域である。大稲埕埠頭に近く、19世紀末以来、乾物や茶葉、漢方薬材などの集散地として台北で重要な役割を担ってきた。
1853年、台北の艋舺(万華)から、福建省同安出身の人々が大稲埕に移り、今日の迪化街が形成された。1860年に大稲埕が開港すると商業の新たな知識が導入された。1865年、イギリス人のジョン‧ドッドが福建省の安渓から茶の苗を持ち込んで台湾北部で栽培し、大稲埕で茶葉の焙煎が行なわれるようになった。この頃から「フォルモサ‧ウーロン茶」が世界に輸出されるようになり、台湾は世界の経済体系へと入っていく。
『百年迪化風華』の中で、著者の許麗芩は迪化街から出た企業経営者を多数紹介しており、勤勉な経営者が事業を確立していった様子を描写している。台南幇と呼ばれるグループの侯雨利、呉修斉、呉尊賢、高清愿は布地の販売からスタートして資金を蓄えていき、台南紡織を創業して次々と企業を設立していった。当時は繊維産業が台湾経済の発展を牽引し、今日の迪化街周辺や永楽市場にはその名残が見られる。
統一企業を創設した高清愿は、繊維産業で得た資金を製粉所設立に投じ、後に食品王国を築いた。そこからさらに流通、物流、貿易、投資などの領域へ進出していき、コンビニを初めて台湾に導入したのも統一企業だ。アメリカ本社からライセンスを受けてセブン-イレブンを台湾に展開し、人々の暮らしや消費を大きく変えてきた。
このほかに台湾人にはスナック菓子でなじみ深い「聯華食品」、コンビニの莱爾富を設立した光泉グループもある。私たちの生活に溶け込んだこれらの企業は、すべて迪化街からスタートしたのである。

漢方薬材の店
漢方薬材の店が多いのも迪化街の特徴だ。「生薬は港の貿易で入ってきたので、迪化街に店が集中することになったのです」と話すのは、1973年に中医師鑑定試験に合格した黄長生薬行の二代目経営者である黄秀蓁だ。「迪化街一帯では、最盛期には10店のうち9店が漢方薬の店でした」黄長生薬行が1984年に迪化街に進出した時は、まさに激戦区だった。
現在の暮らしは漢方薬とはほとんど縁がないように思えるが、決して遠い存在ではない。「コンビニなどなかった時代、漢方薬店は現在のコンビニのような存在で、人々の日常の暮らしに溶け込んでいました」と黄秀蓁は言う。3代目経営者の廖庭妍は例を挙げて説明する。朝一番に飲むハトムギ汁、調理用の白コショウ、豚の角煮の煮汁に入れる漢方薬パックの滷包、四神湯(漢方薬と豚モツのスープ)に入れるサンヤク、ハスの実、オニバスの実、ブクリョウなどはすべて漢方薬材店で購入したものだ。また夏の暑気払いに飲む青草茶や酸梅湯、秋に体調を整える銀耳蓮子湯(白キクラゲとハスの実のスープ)なども漢方薬の一種なのである。