2022-11-26 ライフ

安平古堡が「熱蘭遮堡」に改名? 要塞内の2つの古跡の名称が統合されただけで改名ではないと李永得文化部部長

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李永得文化部部長は名称変更について、そこには少し誤解があったと説明。安平古堡内の「台湾城跡」と「熱蘭遮城の城壁と城内遺跡」が、元は同じ遺跡であることが分かったため、今回、2つの古跡の名称を統合して「熱蘭遮堡」とすることになったが、これは安平要塞の名称が変更されることを意味するものではない。

安平古堡は「台湾の文化の積み重ねの過程を表したもの」と学者は説明。塔は古跡ではないとしている。

1634年、中国や日本との貿易の中継地、また、フォルモサ島全体(台湾の別称)の政治の中心地として、熱蘭遮城は完成した。鄭成功が台湾に渡ってからは「台湾城」と呼ばれ軍事拠点となり、日清戦争後に台湾が日本に統治されてからは武器庫に改造された。

その後、安平税関寮の設立のために台湾城の残骸は更地にされ、四角いテラスにレンガ造りの建物が再建された。中央にある高い塔を中心にして、後に安平古堡として広く知られるようになった。

公視の報道によると、熱蘭遮堡に改名することで切り離された一つの時代として認識されてしまうのでは、と心配する有識者も多いという。安平古堡は、オランダ、明、鄭の各時代、清朝、日本、戦後の中華民国の時代に建てられた台湾でも数少ない遺跡の一つであり、この建物は台湾の文化が常に積み重ねられてきたことを示す一つの例である、と文化史専門家の鄭道聰は述べている。

その他にも聯合新聞は、国立成功大学建築学部名誉教授の傅朝卿氏は、安平古堡の赤と白の尖塔は近代的な建築物であり、古跡ではないと公言している。「本当の古跡とは、街の隣にある古代の城壁のこと」であり、切手や台湾鉄道駅前の画像は間違っているとコメント。これに対して葉澤山氏は、「尖塔はすでに古跡としての認知度が高く、人々の印象をすぐに変えるのは難しい。 将来的には、この塔と旧城壁を組み合わせて、本当の意味での古跡のイメージを作り上げたい」と述べた。

安平城の近代的な赤と白の尖塔は古代の遺跡ではなく「本当の遺跡はその横にある古代の城壁である」と公に主張する学者もいる。

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