2022-11-25 ライフ

蔡明亮監督「青春神話」は90年代台湾ティーンエイジャーの漠然とした気持ちを表現することに成功

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注目ポイント

それは、権威が倒され、グローバル化した情報がまだインターネットで手に入らない時代の話である。当時のティーンエイジャーの戸惑いは、台湾史上最も強烈だったかもしれない。世代の早い5年生(民国50年代生まれ)は指導者や権力に反発でき、遅い世代は共感できるアニメやポップカルチャーがあり、無数のオタクを生んだのである。しかし、6年生(民国60年代生まれ)は?


蔡監督の長編デビュー作である「青春神話」は、映画史上に名を残すデビュー作の1つとして位置づけられている。蔡監督のスムーズなカメラワーク、物語、シーンの調整により、彼の脚本と監督が1つになっているスタイルが確立された映画だ。


物語はシャオカンとアザーがそれぞれメインで登場し、アビンやアクイを巻き込んだ2つのストーリーがメインになっている。アザーの物語は台湾の台北市を舞台に、90年代の台湾ティーンエイジャーのあり方を表している。物語の中でアザーとアビンは西門町で小銭やゲーム機の硬貨を盗み、バイクで走り回り、ナンパ、タバコ、飲酒をしたりと、都会にいる不良少年の典型的な姿だった。


一方でシャオカンは引きこもりの予備校生で、外省人の父親は年齢が非常に若い本省人の母親と結婚している。シャオカンの物語では、彼と両親だけで構成されており、会話はあまりなく、 シャオカンの放浪と都市の街並みが大半のシーンを占めている。


蔡監督は90年代の台湾ティーンエイジャーの姿を表現することに成功しているが、街での殴り合いや、女の子をベッドに誘うこと、ゲームセンターでの青年たちの間の暗い雰囲気は、この映画のメインではない。メインは逆に傍観者であるシャオカンだ。


彼はアザーを尾行したいという不可解な衝動に駆られ、予備校生にふさわしくない堕落した行為に走るのである。しかし、彼は異性愛者であるティーンエイジャーたちのホルモンに満ちた環境に加わるチャンスはなく、ただ傍観して嫉妬を覚えるだけだった。観客からすると、シャオカンはアクイに片思いしているのかと思うかもしれないが、実はそうではなく、片思いの対象はアザーなのだ。


だからアザーがアクイをホテルに連れて行ったとき、シャオカンがアザーのバイクを破壊したのは、アクイのためではなく、アザーが女の子と寝ていることを理由に罰を与えたのである。この嫉妬は本人自身も知らない。そのことから、映画の終盤に、孤独から逃れようと彼が1人で男女のテレクラに行くのだが、女の子からの電話にはまったく出たくないことに気づき、自分が男性を好んでいる現実を思い知ることになる。


このシチュエーションは、後に「愛情萬歳」でも使われた。ただ「愛情萬歳」は、より熟練度が高く、より芸術的で、蔡監督の美学を確立させた。 しかし、これらは全て彼が李康生氏(シャオカン)のために作った映画から始まっているのだ。


キャストもシーンの調整も最高な映画で、陳昭榮氏(アザー)の演技は当時、飛び抜けており、台湾映画界の大スターの1人と言えた。もし90年代以降の20年間、台湾映画が衰えたり、彼がテレビ業界や中国へキャリアを移ったりせずに、今日に至るまで経験を積んでいれば、おそらく近代の台湾における最も強い男性俳優の1人になれただろう。

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