注目ポイント
台湾在住の日本人写真家が、スポーツやエンターテインメントの第一線で活躍する台湾人=台灣之光(台湾の光)の知られざる素顔に迫る企画。今回は57キロ級の台湾代表、コマツ女子柔道部に所属する連珍羚選手です。
台湾ではよく耳にする「台湾の光」(台湾華語では「台灣之光」と表記する)。
これは運動、芸能、音楽など、ジャンルを問わず各分野の一線で活躍する台湾人、または、自らの力で台湾を世界に発信した人に送られる賞賛の言葉です。日本では、「日本の誇り」とダイレクトに表現しますが、「光」として人を讃える伝え方はなんとも芸術的。今回ご紹介する台湾の光は、柔道。礼を重んじる武道として知られている柔道発祥の国・日本で青春をかけた台湾人選手を突撃取材します。先に言います。背負い投げされてきました!

© 柔道女王・連珍羚/ 撮影:小林賢伍
柔道女王・連珍羚
台湾の女子柔道家、連珍羚選手(日語:レン・ツェンリン)。山梨学院大学卒業後、コマツ女子柔道部入部。階級は57kg級。
連珍羚選手が柔道をはじめたのは、小学校3年生。台湾では、学校が始まる前に自主勉強の時間が設けられていることが多く、それを避けるために、連珍羚選手は運動部に入ろうと決意。テコンドー、陸上、柔道と三つの選択肢があり、一番かっこよかった柔道を選択したそうです。そんな連珍羚選手、今では、台湾の柔道界では知らない人はいない台湾柔道を担う選手。私は以前台湾の宜蘭県で開催された「2017年全国大会(柔道)」(台湾華語では、106年全國運動會)を観戦しに行ったことがあります。一年に一度開催される国内最大規模の大会と高額賞金をかけて、台湾中の柔道選手が集います。連珍羚選手の結果は、全試合一本勝ちの優勝。まさに、不動の柔道女王を垣間見たのでした。
実は、私は現日本大学の柔道コーチ西田優香さんを通して、以前から面識があった連珍羚選手。昔から常に明るく、冗談が好きな台湾人らしい人柄ですが、日本の柔道界に足を踏み入れるにはそれ相応の覚悟があったはず。本日は、そんな連珍羚選手の素顔に迫ります。

© 柔道女王・連珍羚/ 撮影:小林賢伍
好久不見!(お久しぶりです!)
ー早速ですが、日本に移籍したきっかけを教えてください。
連「大学2年生の時、国際大会の試合後に山梨学院大学柔道部の山部伸敏監督に声をかけてもらったのが、きっかけです。」
ーその言葉をもらった時はどんな心境でしたか。
連「とても嬉しかったです。そして、すぐに挑戦したいと伝えました。あまりの即答に監督からは「親に相談しないのか」と心配されました。日本語は全く話せませんでしたが、漢字を書きながら日本の選手達とコンタクトしました。そこからは、練習をこなしながら、自分で日本語を学習しましたね。」
ー家族も驚いたんじゃないですか。
連「反対されると思って、事前に作戦を練りました。まず、訪日する直前に親に伝えること。あとは、最初は一年間だけ日本に行ってくると伝えたことです。そして一年後、再び「もう少し日本に残る」と伝えて、今13年目になります。(笑)」