注目ポイント
正港とは「正統な、本場の」などを意味する台湾語。「あの街の“正港台湾料理店”」は、日本で台湾の食文化にこだわる料理人のストーリーと食を追い求める連載です。第5回目は、料理人としての道を真摯に追求してきた、台湾出身の呉瑞榮(ウー・ジェイロン)さんが生み出す本格的台湾料理の「呉(ウー)さんの台湾料理」を紹介する。
JR荻窪駅から徒歩5分。住宅街に向かう路地に構える「呉(ウー)さんの台湾料理」は、一見洋食レストランをも思わせるような外観だ。店内に入ると、まず木製の大きなカウンターが目に飛び込み、メニューがびっしり書き込まれた正面の大きな黒板は、フレンチかイタリアンのお店をイメージさせる。また、呉さんと親交のある東京芸大の学生さんが書いてくれたという黒板の「台北101」と「九份」のデザイン画や、壁に飾った台湾原住民のイラストも、どこか斬新さを感じさせてくれる台湾ディスプレイだ。

台湾出身の店主の呉さんに、あらためてお店の歴史や料理について伺うと、そこには料理人としての呉さんの人生そのものがあった。かねてから台湾出身の知人に「台湾料理とは?」と尋ねると、たいていの場合は、出身地域の伝統的な郷土料理や屋台料理。また幼い頃から慣れ親しんだ家庭の味というのが一般的な答えであった。しかし呉さんにとっての台湾料理には全く違う原点があったのだ。

本当は軍人になってパイロットになりたかったという呉さんであるが、幼い頃に両親を亡くし、衣食住の不安を抱えながら、17歳の時に飛び込んだのが料理の世界であった。なぜならそこでは食べることには困らないからだ。ある意味生きるための手段として始めた料理であったが、続けるうちにだんだん楽しくなって、四川や香港料理なども含め、ありとあらゆる料理の奥深さを学びながら、その世界に没入していったという。その時々で求められる料理を試行錯誤し、さらには、より多くの料理理論を身につけるため、日本の料理学校にも通ったのだとか。
何度か日本と台湾を行き来しながら、友人との共同経営でお店を出店した後、初めて自身で独立した店舗を開業したのが1998年、呉さんが40歳の時だ。「呉さんの厨房」という店名で新宿御苑に開業したその店は、ビジネスマンで賑わうオフィス街にあり、料理の味の良さが評判となって大繁盛だったという。しかし、12年ほど懸命に働いたある朝、突然右半身が激しい痛みとともに全く動かない状態になってしまったのだ。当初は全く原因も分からず途方にくれたとのことであるが、ランチタイムだけでも130〜150食の料理を毎日一人で作り続けてきた無理がたたり、筋肉の癒着が起こってしまっていたのだ。そこで止むなく店を閉め、3年間のリハビリ生活に入ったのだという。

ようやく身体も回復してきた呉さんが再稼働の場所として選んだのが、都会の喧騒を離れながらも交通や生活に便利な荻窪だ。店名も「呉さんの台湾料理」とあらため、宣伝や広告も一切せずにオープンしたという。当然ながら当初は来客もなく閑散とした状態だったとのことだが、新宿御苑時代のお客様が“呉さん”の名前を探して訪ねて来てくれるようになり、そこからは人から人へと口コミが広がって、今ではたくさんのお客様が呉さんの味を求めてやってくる。
