2022-10-24 政治・国際

台湾を世界のブランドに――メイド・イン・タイワンを輝かせた 「加工輸出区」の栄光とこれから

© 台湾光華雑誌より

注目ポイント

高雄の加工輸出区(EPZ、Export Processing Zone、輸出加工区)、現在の「前鎮科技産業園区」の製品陳列室。中南米地域の友好国から訪れた来賓が、展示された過去の製品を指さして「ああ、このポータブルステレオは、子供の頃、私も1台持っていましたよ」と声を上げた。これに対して「そうですよ。これは台湾製で、ここから輸出されていったのです」と加工輸出区管理処高雄分処に勤務して20年を超える広報担当の丁世徳が答えた。

外国からの投資を引き入れて、新たな技術を導入するというのは、加工輸出区設立の第二の目的だった。その長年にわたる成果により、台湾の技術レベルは大幅に向上し、企業も自発的に技術力を向上させてきた。工場での生産も、自動化から情報化、デジタル化へと前進している。「これまでの20~30年、私たちは時間をかけて少しずつ立て直し、すでに形を成していましたが、まだ十分ではありませんでした。それが米中の貿易摩擦が発生したことで、転換のラストワンマイルが成功したのです」と黄文谷は言う。

米中貿易摩擦により、中国域内に進出していた台湾企業は再び対外移転を迫られることとなった。この時、台湾は適時に政策を打ち出し、多くの企業が再び台湾に戻ってくることになったのである。彼らは改めて台湾に投資し、サプライチェーンも再度構築された。「加工輸出区の変化と台湾経済の発展を照らし合わせると、時期的にほとんど一致しており、まさに台湾経済発展史と言えます」と黄文谷は言う。

労働集約型産業が中心だった当時、加工輸出区は高雄に多くの雇用をもたらした。下の写真は加工輸出区の出勤風景。

台湾企業の中国からの回帰によって、工場やオフィスの需要が高まったが、高雄加工輸出区では、早くから前瞻創新ビルの建設に着手しており、2022年初に竣工した。呉大川は私たちを完成したばかりの工場に案内してくれた。瑞儀光電(Radiant Opto-Electronics)や凱鋭光電(JET OPTO)などの企業がすでに入居しているという。これらの企業の回帰の流れが、産業にイノベーションをもたらすこととなった。

黄文谷にとって、もう一つ特別な意味があるのは加工輸出区の名称変更である。「『加工輸出区』という名前は、ある意味で歴史的な栄光を表しますが、それはまた一つの負担でもありました」と言う。産業の転換とグレードアップにより、今では多くの工業団地が「科技産業園区」へと名称を変更している。「加工輸出区の名称は過去のものとなりましたが、その精神は受け継がれ、次の50年を歩んでいくことでしょう」と黄文谷は締めくくった。

時代の記憶とともに歩む

呉大川は、台湾一の港湾である高雄港を見渡せる前瞻創新ビルの屋上に私たちを案内してくれた。見える範囲の各所に多くの歴史的ランドマークがある。時代巨輪の彫像は素朴なイメージで、当時人々が懸命に働いた歳月を思い起こさせる。長年使われてきた第一工場は、多くの起業家が最初の一歩を踏み出す場だった。また、最後のアメリカ援助の費用で建てられた事務棟は、東海大学の路思義教会を設計した建築家の陳其寛と、台湾大学洞洞館を設計した虞曰鎮の手になるものだ。外壁と内部の階段はコンクリートの飾りブロックで装飾されており、幾何学的なラインが美しい。

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