2022-10-24 政治・国際

台湾を世界のブランドに――メイド・イン・タイワンを輝かせた 「加工輸出区」の栄光とこれから

© 台湾光華雑誌より

注目ポイント

高雄の加工輸出区(EPZ、Export Processing Zone、輸出加工区)、現在の「前鎮科技産業園区」の製品陳列室。中南米地域の友好国から訪れた来賓が、展示された過去の製品を指さして「ああ、このポータブルステレオは、子供の頃、私も1台持っていましたよ」と声を上げた。これに対して「そうですよ。これは台湾製で、ここから輸出されていったのです」と加工輸出区管理処高雄分処に勤務して20年を超える広報担当の丁世徳が答えた。

文・鄧慧純 写真・林旻萱 翻訳・山口 雪菜

経済部加工輸出区管理処提供

日立のブラウン管テレビ、ソニーのウォークマン、高級ファブリック、そして野球のグローブなどの商品は、かつて高雄加工輸出区(輸出加工区、EPZ)で生産され、高雄港から世界へと輸出された。これらメイド・イン・タイワンの製品が世界共通の記憶を形成してきたのである。この十数年、メイド・イン・タイワンはさまざまなハイテク製品の中に身を隠している。自動車、スマートフォン、ゲーム機などのチップ類は、いたるところにメイド・イン・タイワンが浸透していることを示している。

楊伯耕は、早くも1966年に加工輸出区が設立されてから、受託生産と輸出を通してメイド‧イン‧タイワンは世界に広く知られていたと語る。

台湾の経済の奇跡

「前世紀の60年代、台湾には資金と技術が不足していました。農村の人口が都会へ出始めて失業率が上昇し、対外的には外貨準備高も不十分でした。こうしたさまざまな要因から、政府は工業と貿易の発展の重要性と切迫性に気づいたのです」と経済部加工輸出区管理処の楊伯耕・処長は、「加工輸出区」設立の背景を語る。当時は欧米や日本など先進工業国の製造業が積極的に海外移転していた時期で、当時の李国鼎・経済相は「域内、税関外」という加工輸出区(EPZ)の概念を打ち出し、1966年に世界で初めての加工輸出区を設立したのである。

その場所に選ばれたのは高雄だった。港を浚渫して得た土砂を盛った埋め立て地が「加工輸出区」の予定地となった。港も空港もそろっている高雄は、原材料の輸入や製品の輸出にも有利だからだ。「加えて税の優遇策やワンストップサービスなどにより、多くの行政手続が簡略化され、企業の投資にも有利でした」と話すのは加工輸出区管理処高雄分処の呉大川・分処長だ。

果たして加工輸出区は台湾経済を飛躍的に成長させ、初年度には海外から1500万米ドルの投資を呼び込んだ。広さ72ヘクタールの敷地は2年で飽和状態になり、政府はさらに楠梓と台中の潭子にも加工輸出区を設けた。

その目覚ましい業績と経験から、ほかの国々もこれに倣い、韓国は馬山に、ベトナムはタントゥアンに、フィリピンはスービック湾やクラーク特別区などにEPZを設けた。さらにパナマやモロッコ、パラグアイ、チェコなど20数ヶ国からも視察団が訪れた。1970年代の末から設けられるようになった科学園区(サイエンスパーク)も加工輸出区の制度に倣ったもので、台湾経済をさらに大きく成長させることとなった。

加工輸出区にある「時代巨輪」の彫刻は素朴なイメージがあり、かつて全国民が懸命に働いて経済を成長させた時代を思い起こさせる。

台湾の基礎は人材

「2010年に経済部工業局はメイド・イン・タイワンをブランドとして打ち出し始めましたが、実際には、それより先の1966年の加工輸出区の設立以降、受託加工と輸出によってメイド・イン・タイワンはすでに広く世界に知られていたのです」と楊伯耕は言う。

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