注目ポイント
普段はごちゃごちゃしている伝統的な市場も、「ジェンガ」の段階ではとてもシンプルで整然としていた。普段は目立たないプラスチックのカゴやステンレスの容器が大量に並べられ、メモリーカードの容量を占めてしまう程にとても撮影しがいがある。
作者:林特
もともと料理は、私にとっての癒しだった。
食材を買ってきてから盛り付けるまで、料理の全工程は単なる「工程」ではない。もう少し細かく行動を分けて見てみると、実は、食材を買いに市場まで歩くというのは、散歩、ブラブラする、新鮮な空気を吸う、朝の街を感じる、などの要素が組み合わさっていることが分かる。また、季節ごとに旬の食材が異なるため、毎日市場に出ていても、全く同じものが出てくるということは少ない。
そして、さまざまな野菜や果物の旬の時期や価格の変動が分かり、出店者と顔見知りになって話を弾ませることもあるだろう。食料品の買い出しが、一種の社交活動にもなるのだ。
食材を家に持ち帰って下処理をするのは、買ったばかりの洋服を開けて試着するのと同じようなワクワク感がある。青葉は水洗いし、根菜はブラシで皮についた土をキレイに落とし、洗った後に整え、保存袋に入れるか、ゆでて冷ましてから冷蔵庫にしまう。
パックに詰めるべき肉や魚も洗い、カットして、今日食べるものは冷蔵庫、今日食べないものは冷凍庫に入れる。皆さんはどうか分からないが、私はこの戦利品(もしくは山賊から奪ったお宝と呼んでいる)を整理する作業がとても癒しになるのだ。
料理を始めた後は言うまでもなく、鍋の中の食材がだんだん熟していくのを見ながら、まるで自分がその鍋の肉や野菜と共に化学変化を起こしていくような錯覚に陥る。料理の癒し効果を否定できる人はいない。言うまでもなく、Youtubeでこのような動画を見ている人の数を見れば一目瞭然なのだ。
そして、これらは私にとって「もともと」は子供が産まれるまでの癒しだった。子供ができた後、「閑情逸致(のんびり余暇を過ごす)」という四文字は、パラレルワールドにしか存在しなくなる。決して子供を育てるのがどれだけ大変かと文句を言いたいのではなく、本当にゆっくりする時間がないのだ。携帯電話の一日のスケジュールブロックを指で丸ごと潰すように生活リズムがタイトになり、遅らせることが出来ない。毎日一定の時間にご飯を食べて、決まった時間に寝ないと、世界が乱れてしまうのだ。
このように、時間がないので料理は癒しではなく日常的な仕事になったが、野菜の買い出しは依然として楽しみである。
息子は虫を食べる鳥のように毎朝早起きだ。そのせいで私までそうなり、夜明け前に起きることもある。そんなに早起きしてどうするのか?まだ暑くないうちに、外に出てぶらぶらして、市場に行ってどんな宝物が獲れるか見てみよう。

© Photo Credit : 林特