2022-09-12 政治・国際

エリザベス女王が唯一「踏み誤った」対応は ダイアナ妃急死後、国民の怒りを買った沈黙

© Photo Credit: AP / 達志影像

注目ポイント

8日に亡くなったエリザベス女王は、英国王室史上最長の君主として70年あまり君臨。英国民のみならず世界中の人たちに敬愛された。その女王が一度だけ、「大きく対応を踏み誤った」ことがあった。25年前、ダイアナ元妃が不慮の事故で、悲劇的な最期を迎えた直後のことだった。

エリザベス女王の長男チャールズ皇太子(当時)と離婚が成立してわずか1年、ダイアナ元妃は将来の国王となる15歳の長男ウィリアム王子と、まだ12歳だった次男ヘンリー王子を残し、パリでの自動車事故で、突然この世を去った。それからほぼ1週間、女王は沈黙を続けた。

第2次世界大戦中だったら、国民は「黙って先に進むこと」を受け入れただろうと米紙ワシントン・ポストは言う。さらに、父親である国王ジョージ6世が病の床で死去した際も、王位を継ぐことになる25歳だった当時のエリザベス王女は沈着冷静だったと振り返る。だが同紙は、「時代はすでに変わっていた」とし、国民が望んだものは王室が示した伝統の「英国の不屈の精神」ではなかったと指摘した。

当時、就任したばかりのトニー・ブレア首相の人間味のある声明が、国民の女王に対するフラストレーションを一層強めた。1997年8月31日、ダイアナ元妃の死亡が伝えられた数時間後、ブレア氏は声明を発表。その中で、同妃を「国民のプリンセス」と呼び、その早すぎる死を悼んだ。

首相の声明は国民感情を高まらせた。街中で人々は涙を流し、慰め合うように他人同士が抱擁した。英国各地の宮殿では、弔問に押し寄せた市民が芳名帳にそれぞれの思いを書き記し、持参した花束は置き場もないほど積み上がった。ただ、ダイアナ元妃はすでに王室メンバーではなかったため、そこに宮殿職員はいなかった。

季節はまだ夏。訃報が届いた時、ウィリアム王子とヘンリー王子の兄弟を含め、王族らは例年通り避暑地のスコットランド・バルモラル宮殿で過ごしていた。他の家族だったら、母親を亡くしたばかりの2人の子供を慰めるのには適した場所だったかも知れない。だが、その時、ダイアナ元妃の棺はロンドンのセント・ジェームズ宮殿に何日も安置されていたのだ。

「もともと恥ずかしがり屋で情緒不安定な少女を、国民が理想とした美しいプリンセスになることを求め、やがて世界で最もカメラに収められた皇太子妃になったものの、王室から排除され、事実上、死に追いやられたと表現するのは残酷すぎるのかもしれない」とワシントン・ポスト紙は記した。

沈黙を守り、喪服姿さえ見せない女王に、国民の怒りは日が経つにつれ大きくなった。国民は自分たちが感じている悲しみを、女王にも示してもらいたかった。新聞各紙は「われわれの女王はどこに?」「気持ちを見せて」「国民は苦しんでいる、話しかけて下さい、陛下」などの見出しで民意を煽った。

⎯  続きを読む  ⎯

あわせて読みたい