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音楽家でアジアンポップカルチャー研究も行う菅原慎一さんが、台湾を感じられる選りすぐりのカセットテープを紹介する月イチ連載。今回はアジアの大スター、金城武さんが俳優として大ブレイクする前夜、歌手としてリリースしたデビュー作を取り上げます。
今回紹介するのは、日本では俳優として広く知られている金城武さんが1992年にリリースした歌手デビュー作「分手的夜裡」です。
これを読んでいる方の中には、彼が歌手として活動していたことに驚いた方もいますよね。実はこの僕もそのうちの1人でした。まだ旅行者気分で台湾のレコードショップを歩き回っていた時、見慣れた顔がジャケットにあしらわれたカセットを見つけたときは本当にビックリ。「この金城武って、あの金城武??」と。でもなんだか、異国の地で懐かしい友達と再会したような、不思議とホッとするような気分になったことを覚えています。
台北の街で生まれ育った金城さんは、高校時代にスカウトされ芸能界デビューを果たします。学業と両立してCM出演などの仕事をこなし、いざ本格的にデビューとなった時、歌手と俳優という二つの道を同時に事務所から提案されたんですね。そして彼は果敢にも、両方の道に進んでいくことを決意します。
この作品には、当時デビューしたばかりの新進気鋭の音楽ユニット「新寶島康樂隊(New Formosa Band)」の陳昇(Bobby Chen)と黃連煜(Ayugo Huang)がプロデューサーとして関わっていたり、この連載の第2回でも紹介した、天才音楽家の黃韻玲がいくつか編曲を手掛けていたりします。相当気合いの入った、真に良い音楽作品を作ろうとしていたことがわかります。新寶島康樂隊は、台湾語と客家語をミックスした作風がセンセーショナルで、この頃の若者にとってクールな存在だったはずなので、日本語・中国語・広東語・台湾語・英語が堪能だった金城さんのポテンシャルを活かすには最適任だったのでしょう。

しかし、ミュージックビデオにもなっているリード曲「夏天的代誌」は、彼の重要なアイデンティティの一つである日本語をエキゾチックに取り入れようとした結果、多少無理のある出来栄えになってしまった感が否めません(笑)。どこか不自然で、きっとこれは本当に彼が望んでいた姿ではないのでは……と邪推してしまう程に(「A Li Ga To講眞多謝 Chi Li Ga Mi便所紙」ってどんな歌詞だよ!)。
本作のリリースから2年後の1994年、映画監督のウォン・カーウァイに見初められ、かの有名な香港映画「恋する惑星」に出演、瞬く間にアジアを代表するスーパースターとなった金城武さん。それはもう自然と、音楽活動から身を引いていきます。このアルバム「分手的夜裡」は、台湾エンターテインメント業界が一時試行錯誤し、何かを模索していた時期があったことを窺い知らせてくれる玉手箱のようなものかもしれません。