注目ポイント
アイドルレコメンダーの鎌形剛さんが、ライブ会場を中心に活動するライブアイドルにインタビューする新連載。第1回目は欅坂46の元1期生で、現在はYURiMentalで活躍する青野まゆさんが、欅坂での思い出や5年越しのアイドル再スタートの経緯を語ります。
――辞めた直後は、お母さんに「お人形さんみたいに動かなくなっちゃった」と言われるくらいの状態になってしまったそうですが……。
青野まゆ もう母になんか言われても「うん…うん…」みたいな感じだったので、もう何も喋らなくなっちゃったと思ったみたいで。私そのとき、もし「戻っておいで」って言われても戻れないように自分から道を断とうと思って、前髪をめっちゃ切ったんですよ。
学校にも広まっている状態だったので、なんかもう恥ずかしいし、毎日朝起きて学校に通うのはもう無理だなと思って。で、親が心配して通信制の高校に通わせてくれたんですけど、年に3日しか登校日がなくてそれ以外は家でパソコンで授業受けていたので、ずっと家の中に前髪ざんぎりみたいな状態でいましたね。
――それからは通信制の高校で授業を受けつつ、居酒屋でアルバイトをやっていたらしいですね。
青野まゆ 近所に幼い頃から家族で行ってた個人経営のアットホームな居酒屋さんがあって、私の事情とかも全部知っていたので、そこでずっと働かせてもらってました。
――YURiMentalに入るまでの5年間って相当長かったと思うんですけど、ほかにはどんなことをやっていたんですか?
青野まゆ 1年間医療事務の専門学校に通って、それから病院にちょっと務めたりしてました。でもそれも辞めちゃって、そこからずーっとタピオカ屋さんで働いてましたね。バイトもいろいろやってて、ほかの居酒屋さんもやったし、カラオケの店員もやったし、めちゃくちゃやってました。
――その間、欅坂46は人気になっていったので、欅坂に関する情報が勝手に入ってくることもあったんじゃないかと思うんです。そういったものとはどう向き合っていましたか?
青野まゆ なんか最初、それこそCDデビューするまでの番組とかはもう本当に見れなくて。「もしかしたら私だってここにいたかもしれないのに」と思ってたんですけど、結構あの曲(サイレントマジョリティー)の感じって衝撃的だったじゃないですか? それでCDデビューしてからは別物として見れるようになったというか、「ああ、これはもう地上のアイドルで、私とはなんの関係もない素敵なグループだ」ぐらいの気持ちになって。無理に自分から見たり、好きになろうとは思わなかったですけど、逆に遠ざけたりもしなくなりました。
■唯一無二の存在になりたい
――YouTubeのインタビューでは「アイドルをやっているのは自分のためで、まゆの自己満足だ」みたいに言っていたんですけど、あれだけ大変な目に遭ってもアイドルをやりたい気持ちが消えなかったのはスゴイですね。