2022-06-30 観光

台湾最大の港で失われた "色とりどりの大漁旗 "の復元に挑む~高雄で見つけたユニーク文化の探訪~

注目ポイント

高雄港は台湾最大の港だが、埠頭は男たちの悲しみの場であるだけでなく、多くの語られない物語を秘めているものだ。まずは大漁旗の消滅から話そうか。港の王が、この失われた伝統や芸術をめぐり、高雄のユニークな文化を探訪しよう。

高雄港は年間3万隻以上の船舶が出入りしており、台湾の港湾交通の3分の2以上を占めている。ゆえに高雄は「港湾都市」とも呼ばれている。

街は港から誕生し、港に住んでいた初期の人々も漁業で生計を立てていた。現在では港の規模も大きくなり「前鎮漁港」は、台湾最大の沖合漁業の中心地となった。台湾近海をはじめ、世界の三大海洋で漁業を営む高雄の漁業生産量は台湾全土の2分の1にもなるため、その実力は相当なものだ。

この高雄港の端には、大手造船所の龍頭中信をはじめ、重要な造船所がいくつもある。年間平均50億ドルの生産高に加え、高級ヨット産業も盛んで、海岸線には大小さまざまなマリーナが点在している。また、この場所は台湾の造船や漁業のリーダー的存在であるだけでなく、魅力的な文化も秘められている。

 

船下にはコインやドル、海上には漁船旗があがる

戦後の高雄港に浮かぶ新造船、漁船を造った後には港の側で一隻ずつ「進水式」を行う。参加者は、造船業者、船主、造船業者に信用供与する銀行、造船に関わるメーカー、地域の住民など。この時、祝福式、命名式、除幕式などの進水式が盛大に行われた。ボトルトス(注1)、や地域住民によるラッキートス(注2)、その後のフィナーレには爆竹が鳴らされ、新艇が進水すると、見渡す限り祝儀の旗で覆われる。 

※注1: リボンでシャンパンボトルを結び、船の舳先に投げて割り、幸運を呼び寄せるとされる

※注2: 船上から小銭や餅などの縁起物を撒いて喜びを分かち合うこと 

新造船の進水式の旗の製作費は数十万円で、これはみんなの祝福を表し、豊漁とクルー全員の無事の帰還を願う意味が込められている。この旗は船の周りを含め、全体に掲揚される。また、船の周りや上には、旗を吊るすためのラインがたくさん入っている。

台湾は日本文化の影響を受けており、「大漁旗」とも呼ばれている。通常の国旗の他にも、「錦旗」に似た形で縁起を担ぐ意味のある赤いビロードの大漁旗も掲げられる。それはとても長く、祝福の言葉が書かれ船の周囲を一周する。横長の大漁旗のほか、「関東旗」のような直線的なスタイルのものもよく見かけられる。大漁旗は通常、船長室の後方にまっすぐ掲げられ、一般的には6本あり、それは通常船の所有者の義父によって与えられ、その主な意味は「あなたにはお義父さんという後ろ盾がある!」ということを象徴している。

 

台湾と日本における大漁旗の文化

大漁旗の柄 - 亀崎染工株式会社より写真提供=日本の漁業旗様式

大漁旗の製作文化の起源は、日本統治時代の1930年代頃に持ち込まれ、日本伝統の「糊染め」という方法だった。米ぬか、もち米、石灰を一定の割合で混ぜ合わせ、糊状にしたものを絞り、ケーキの袋のような「糊筒」に入れて、布の上に糊を置いて染めていく。

柄のデザインにおいては、日本の旗職人は山と海のモチーフを強調することが多い。山は通常、富士山で、太陽は日本の国旗を表している。また、亀や鶴のデザインもあり、いずれも縁起が良く、長寿の意味がある。七福神や浦島太郎など、日本で昔から親しまれてる絵は主に48種類あり、これらは一般的な漁業旗のデザインである。

一方、台湾では亀と鶴のモチーフは、必ずしも人気があるわけではない「亀」というと「槓亀(台湾語で財や希望を失うこと)」のような意味合いが連想されたり、亀と鶴が一緒にいる様子は、「人が亡くなる」ことを連想させる。これは、台湾に日本とは異なる漁業旗文化が芽生えるきっかけとなった重要な出来事でもある。

台湾では鯛のモチーフが中心だが、マグロやカジキなど沖合漁業に関わるモチーフもある。モチーフに使われるものは経済価値の高いものが中心だが、時にはイカやエビ、シイラなども見られたり、いずれも各地域の名産漁獲品が使われることが多い。


隣人は私たちが「お金を刷っている」と言う

伝統的な旗の製法で作られた漁業旗

台湾における1970年代の「大漁旗」には様々なスタイルがあった。 台湾の経済が軌道に乗り始めると、高雄の漁船も大きくなって、漁業旗の需要も増えてきたので、それに伴い旗の制作方法は、1版、1画像、1色で短時間に仕上げる「シルクスクリーン印刷」に変更された。それは現在よく見かける旧式の大漁旗でもある。しかしその後、シルクスクリーン印刷の需要は供給を下回るようになり、最終的にコンピューター印刷に切り替わった結果、伝統的な「糊染め」、後の「シルクスクリーン印刷」の技法はあまり普及しなくなり、次第に台湾から姿を消していった。

高雄の旗津で働いていた李怡志氏と林佩穎氏が高雄について「港の人生-旗津の島民」を執筆していた頃の話だ。ある日旗津でフィールドワークをしていたとき、旗職人の柯炳煌氏に出会い、何気なく聞いてみた。「ここに大漁旗はありますか?」と。柯炳煌氏は、店内の引き出し棚から、さまざまな形の漁業旗をゆっくりと取り出し、「昔から漁業旗を作ることを生業としていた」と話し、それが李怡志氏にとって台湾特有の漁業旗を初めて目にした瞬間だった。

柯炳煌氏よると、以前、大漁旗を大量に作っていた頃、従来の印刷方法からパソコン印刷へ変化していった頃、隣の空き地で釣り旗を描いたり干したりしていると、近所の人たちから「お金を刷っている」と笑われた。1枚で100、2枚で200儲けることができた。「あの頃はとても繁盛していた」「当時、奥さんは出産後に赤ちゃんを病院に預けたまま家に戻って仕事を続けていたほどだ」とも語った。

この本は、このインタビュー後、すぐに出版される予定で、李怡志氏は柯炳煌氏の家に電話をかけて、そのことを報告した。その時、柯炳煌氏の母から柯氏が亡くなったことを聞かされたのだ。李氏はその時こう思った。「柯師匠がいなくなってしまったら、誰がその技術を受け継ぐのか?」と。これがパートナーと共に「山津塢」というブランドチームを立ち上げ、漁業旗の復活プロジェクトをスタートさせた始まりだ。

「山津塢」チームは台湾各地にある大漁旗文化の探索を開始した。また、鹿児島県にも渡り150年の歴史を持つ手描き大漁旗の「神崎染工場」で旗づくりを学んだ。

チーム内で漁業旗の制作を担当した依寧氏はこう語る。「"日本の巨匠 "たちは、とても温かく迎えてくれて、2日間かけて見学をしました。最初は、工場見学で制作工程を見るだけのつもりだったのですが、師匠は私たちを見るなり布を広げ『自分達で書いてごらん』と言いました。人が作っているのを見るより、自分で作った方が、より実感がわくという思いがあるようでした。そして同時に、台湾独自の漁業旗の文化を復活させるために、自分達で台湾スタイルの漁業旗を作ってほしいと思ってくれていました」

 

"糊染め "の手法こそ、真の大漁旗

 伝統的な手法で作られた漁旗 - 提供:洪立氏

150年の歴史を持つ、漁業旗工房の職人は自分が5代目であることを、誇らしげに話した。2019年に「山津塢」は、日本大漁旗の職人である亀崎正博氏を2回台湾に招き、ワークショップやチーム交流のほか、何世紀にも渡る互いのこの文化を垣間見ることが出来た。

台湾独自の漁業旗を作成

日本のアクアマリン福島が開催する「小名浜国際大漁旗アート展」はアジア諸国の中でも漁業旗文化の普及に大きな意味を持っている。2020年、「山津塢」はこの大会に参加することを決めた。

龜崎染工-山津塢提供 

チームのデザインを担当した淑雯氏は、こう語る。「この国際的なアートコンテストの存在を知ったとき、私たちの文化的な研究と大いに関係があると思いました。この大会をきっかけに、より多くの人にこの文化を知ってもらい、絵で祝福を意味する“漁業旗”を通じて、日本と交流を深めていけたらとも思いました。李怡志氏の書いた言葉に私がデザインし、依寧氏が制作の技術的な面でいろいろと関わってくれました」。この3人チームは、日本ではなかなか見られない漁業旗のスタイルを作り上げた。

この年、淑雯氏のデザインした漁業旗は200点以上の応募の中から、最高賞である「最優秀賞」を受賞した。また、海外からの参加者としては初の受賞となった。淑雯氏は「この伝統文化をより多くの人に知ってもらうことが、このコンクールに参加した理由です。今回の受賞でその思いが実現し、台湾の大漁旗の復活と継承に向けた新たな可能性が見えてきました」と語っている。

受賞作品について淑雯氏は、伝統的な手描きの模様の形をそのまま残したという。もち米ペーストの白いラインが残っているので、手作り旗の柄として直接使えるようになっている。作品中央の細長い魚は、アクアマリン水族館の建築的な外観を表現している。尾の部分には旧高雄市の市章も描かれている。まるで、港の街からアクアマリンの20周年を祝うメッセージのようだった。

 

伝統制法を超え潮流に逆らった「ウナギの大漁旗」

「山津塢」チームは学校や地域に根付き始め、子供から高齢者までこの文化を通して、私たちは自分自身との対話、そして異なる年齢や民族との対話に取り組んでいる。また移住者のコミュニティにも馴染んでいき、100本以上の旗を作り、参加するすべての人に漁旗の祝福の意味を伝えています。

夜の鰻の響き、チームの最新作 "鰻の声"

高雄市海洋文化民俗音楽センターの公共アート設置プロジェクトにより制作された。そこで、この作品を作るにあたって、台湾人と縁深い生物であるウナギを思いついた。ウナギは川で成長し、成熟すると産卵のために海へ移動する。ウナギは川を横断する過程で、堰やダム、自然の滝など多くの障害物を越えなければならない。

台湾にはウナギの稚魚を自分で捕る文化がある。地域によって、ウナギにまつわる伝説は様々だ。そこで一行は、林から桃源へと向かい、高雄の9つの地区で半年間、ウナギと異文化研究をした結果、川沿いを山まで360km歩き、100個以上のウナギにまつわるモチーフを集めて、20mのウナギ旗を作った。

この大掛かりな作品は、チームが自分達に課した挑戦でもある。漁業旗の大きさを越えるだけではなく伝統的な製法も残している。また、地域の神話や地理的な背景をもとに、詩としても書き下ろした。夜光塗料は魚の体に使用され、夜間はライトアップされ、多面的な視覚効果を発揮する。

「山津塢」は、大漁旗の文化を見い出す過程で、伝統の技を守り続け地元歴史を掘り下げることで、高雄独自の文化を発見してきた。日本では、漁船の進水式に見られるだけでなく、日常生活の中に大漁旗の文化が深く根付いている。また、お祭りの衣装や有名なお土産のパッケージ、コンテナトラックの塗装などにも、大漁旗のモチーフが使われている。

いつの日か船上だけでなく、高雄で再び大漁旗があらゆる形で港街を飛び回る光景が見られるのを楽しみにしている。
 

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