注目ポイント
高雄港は台湾最大の港だが、埠頭は男たちの悲しみの場であるだけでなく、多くの語られない物語を秘めているものだ。まずは大漁旗の消滅から話そうか。港の王が、この失われた伝統や芸術をめぐり、高雄のユニークな文化を探訪しよう。
高雄港は年間3万隻以上の船舶が出入りしており、台湾の港湾交通の3分の2以上を占めている。ゆえに高雄は「港湾都市」とも呼ばれている。
街は港から誕生し、港に住んでいた初期の人々も漁業で生計を立てていた。現在では港の規模も大きくなり「前鎮漁港」は、台湾最大の沖合漁業の中心地となった。台湾近海をはじめ、世界の三大海洋で漁業を営む高雄の漁業生産量は台湾全土の2分の1にもなるため、その実力は相当なものだ。
この高雄港の端には、大手造船所の龍頭中信をはじめ、重要な造船所がいくつもある。年間平均50億ドルの生産高に加え、高級ヨット産業も盛んで、海岸線には大小さまざまなマリーナが点在している。また、この場所は台湾の造船や漁業のリーダー的存在であるだけでなく、魅力的な文化も秘められている。
船下にはコインやドル、海上には漁船旗があがる

戦後の高雄港に浮かぶ新造船、漁船を造った後には港の側で一隻ずつ「進水式」を行う。参加者は、造船業者、船主、造船業者に信用供与する銀行、造船に関わるメーカー、地域の住民など。この時、祝福式、命名式、除幕式などの進水式が盛大に行われた。ボトルトス(注1)、や地域住民によるラッキートス(注2)、その後のフィナーレには爆竹が鳴らされ、新艇が進水すると、見渡す限り祝儀の旗で覆われる。
※注1: リボンでシャンパンボトルを結び、船の舳先に投げて割り、幸運を呼び寄せるとされる
※注2: 船上から小銭や餅などの縁起物を撒いて喜びを分かち合うこと
新造船の進水式の旗の製作費は数十万円で、これはみんなの祝福を表し、豊漁とクルー全員の無事の帰還を願う意味が込められている。この旗は船の周りを含め、全体に掲揚される。また、船の周りや上には、旗を吊るすためのラインがたくさん入っている。
台湾は日本文化の影響を受けており、「大漁旗」とも呼ばれている。通常の国旗の他にも、「錦旗」に似た形で縁起を担ぐ意味のある赤いビロードの大漁旗も掲げられる。それはとても長く、祝福の言葉が書かれ船の周囲を一周する。横長の大漁旗のほか、「関東旗」のような直線的なスタイルのものもよく見かけられる。大漁旗は通常、船長室の後方にまっすぐ掲げられ、一般的には6本あり、それは通常船の所有者の義父によって与えられ、その主な意味は「あなたにはお義父さんという後ろ盾がある!」ということを象徴している。
台湾と日本における大漁旗の文化

大漁旗の製作文化の起源は、日本統治時代の1930年代頃に持ち込まれ、日本伝統の「糊染め」という方法だった。米ぬか、もち米、石灰を一定の割合で混ぜ合わせ、糊状にしたものを絞り、ケーキの袋のような「糊筒」に入れて、布の上に糊を置いて染めていく。