2022-06-24 流台湾

【まじないから見る台湾原住民族】ー台湾原住民族のまじない文化ー

© Photo Credit: Shutterstock / 達志影像

注目ポイント

台湾政府によって16部族が認定され、全人口の約2.5%を占める台湾原住民(先住民)。日本でもメディアを通じて彼らの伝統舞踊や料理に触れる機会はあるが、彼らのあいだで今でも古くからの「おまじない」が伝承されていることはほとんど知られていない。知られざるまじない文化から見える台湾原住民の世界観や生き方を、全3回にわたって解説する。

  • そもそも台湾原住民族とは?

台湾には原住民族とよばれる人々がいる。台湾が好きで、よく観光に訪れるという人でも、集落の多くが山間部にある原住民族のことは博物館にでも行かなければなかなかわかりづらかったりする。

台湾原住民族とは、現在台湾にいる人々の中でも最も古くからこの地で暮らしてきた人々である。え?「先住民」とは言わないのか、と以前私は疑問に感じたことがある。実は中国語の「先住民」という表現には、「すでに滅んでしまった人々」という響きがあるので、台湾現地では「原住民」という表現が使われているのだそうだ。だから私も、原住民と呼んでいる。

ここではまず、台湾原住民族とは、現在台湾に暮らす人々のなかでいちばん古くからの住人、とおさえておいていただきたい。

また、台湾原住民族の人口はどれほどいるのか。2022年4月の時点で台湾の総人口は約2321万人だが、そのうち政府に認定されている原住民族の総人口は約58万人となっていて、比率で言うと全人口の約2.5%にあたる。(台湾内政部の統計資料に基づく。)

「台灣族群母語推行委員會」( http://tmt.pct.org.tw/distributed.htm )サイトより

そして、台湾原住民族の話す言葉は、学術上は南島語族という言語に分類される。聞きなれないかと思うが、主に南太平洋を中心にひろがる言語集団のことを指している。なぜ「語族」というのかといえば、これは南島の先住民族たちが話す言葉が、元をたどると共通の祖先に行き着くと考えられているからだ。

言い換えるなら、台湾の原住民族が話す言葉は、南太平洋の島々のそれと親戚関係にあるということだ。この南島語だが、他の台湾人が聞いても理解できないのはおろか、原住民族のなかでも、それぞれの族で話す言葉は大きく異なっている。

さて、ここまでを簡単にまとめると、台湾の原住民族は最も古くから台湾に暮らし、言語的にも中国語とは異なる別の体系を持つ。またその伝統的な居住空間は、一部の平地にある集落を除いて、多くが山間部に位置する。ところが、こうした台湾の原住民族と日本との間には深い結びつきがあるのだ。

 

  • 台湾原住民族と日本との繋がりとは?

かつて50年に及んだ日本の台湾統治は、原住民族にもさまざまな影響を及ぼした。

以前、ルカイ族の集落を訪ねた時のことだ。

山の中にあるため、集落の中でも上り下りがきついところがけっこうあり、日ごろからビールばかり飲んで運動もしていないような私はヒイヒイ言ってしまった。

屏東県霧台のルカイ族集落(筆者撮影)

そんな時、誰かに突然声をかけられた。「あんた、日本の子どもか。」

どこからだろう、少しかん高い男性の声。わたしは最初、聞き違えかと自分の耳を疑った。だが、いまのは、間違いなく日本語だったはずだ。あたりを見回してみると、少し離れた高台から、肌の浅黒いおじいさんがこちらの方をうかがっていた。

私はすぐに、「はい!日本から来ました。」と答えた。

「よく来たね。」

やっぱり日本語だ。しかも、とても流暢な。

私が驚いていると、おじいさんはわざわざこちらまで降りてきてくれた。並んでみると、おじいさんは自分より頭一つ分背が低く、身体もやや細いが、筋肉はしっかりしている。私が「高雄の大学院で勉強していて、ルカイ族のことが知りたい。」と伝えると、おじいさんはそのまま私を家に上げてくれた。

おじいさんからは日本統治時代のさまざまなことを教わった。

昔、集落には日本人が建てた小学校があって、おじいさんはそこで日本語を学んだのだと。日本人の同級生もいて、しょっちゅう川に連れ出しては一緒に水遊びをし、アメリカとの戦争が激しくなると、授業はなくなって、そのかわり防空壕をみんなで掘らされたとも。

おじいさんは、日本語の歌も歌ってくれた。おじいさんの十八番は「海行かば」という、戦争中によくラジオで流れていた歌だ。おじいさんは歌い終わると自分の胸をポンと叩いて、私を見つめながら誇らしげに言った。

「日本人。」

私はおじいさんが呟いたその言葉に少し驚きを隠せなかった。返答に少しのためらいを感じながら、私は黙っておじいさんに微笑を返した。

日本人なのか。日本人なんだ。このご老人のように、台湾の原住民族には幼いころに日本教育を経験した世代がまだ健在である。おじいさんから語られてくる幼少期のエピソードは、80年近く前のことのはずだが、大人になってからの時間を飛び越えて、あたかも昨日のことを伝えているかのようにも感じられた。おじいさんが最初に声をかけた「日本の子どもか。」という言葉が再び頭をよぎった。ルカイの人々は、これまでどんな時間を刻んできたのだろうか。

おじいさんにはいくつかルカイ族の言葉も教えてもらった。ルカイ語で「おじいさん」は、「ウム」というらしい。血の繋がりに関係なく、集落にいるおじいさんたちのことをみんな「ウム」と呼ぶんだそうだ。

ウムと話しているうちに、いつの間にか午後3時にもなっていた。山道は日が沈むと運転が危ない。そろそろ高雄に戻らなければならない。

「ウム、ぼくそろそろ帰ります。今日は本当にありがとうございました。」

私がそう告げると、ウムは家の前まで見送ってくれた。私がお辞儀をして去ろうという時、ウムはおもむろに私の右手を、自分の顔の前まで引き寄せて手の甲に唇をつけた。それから、優しくスーっと鼻から息を吸い込んだ。一瞬目を丸くする私に、ウムは「また来てね。」と優しく微笑んだ。

突然のことで少し驚いたが、なんとも言えぬふしぎな感覚に包まれたのを覚えている。

のちにルカイ族の友人から聞いてはじめて知ったが、これは集落の子どもたちの幸せを願うおまじないなんだそうだ。それからというもの、徐々に私は原住民族のおまじないというものに興味を覚えていった。

 

  • そもそもまじないとは何だろう?

日本にもたくさんのおまじないがあるが、まじないとは一体何なのだろう。人々はどうしておまじないを必要とするのだろう。

同じような疑問を持ち、世界中のまじないについての情報をかき集め、40年以上かけて一冊の本にまとめた人がいる

スコットランドのジェームズ・フレイザー(Sir James George Frazer)という貴族だ。なんだか、名前がかっこいい。そんな冗談はさておき、このフレイザーという人のおかげで、まじないに関する研究が始まったともいえる。すごい人だ。彼の著した『金枝篇』という書物には、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、それにアメリカ大陸といった世界各地のまじないについて記されている。

フレイザーは、膨大な古典史料や、世界各地から取り寄せた資料をもとに、人々の行うまじないに共通する理論がないか探ろうとした。とりわけ、まじないをする時に見られる法則として、「接触の法則」や「類似の法則」を提唱した。

「接触の法則」とは、「一度触れ合ったもの同士は、どんなに遠く離れてもお互いに作用しあう」という、なんだか、ロマンチックな法則だ。

遠距離恋愛のカップルが、お守りなどに願いをこめて肌身離さず持っていたりするが、まさにこれだ。あるいは、成績の悪い子どもに、「○○君の爪の垢を煎じて飲みなさい」と言ったりもする。本当に飲んだ人を私は知らないし、そんな人と友人になるかは迷うところだが、この言い回しの背後にも「接触の法則」が働いている。

他方、「類似の法則」とは、「類似しているもの同士は、互いに影響しあう」というものだ。そういえば私は、七五三の時に桃太郎の衣装を着せられたのだが、こうして見れば子どもの健やかな成長を願う日に、勇ましい鬼退治の伝説がある桃太郎の衣装をつける(つまり、桃太郎の真似をする)という行為の背景には、この「類似の法則」があるといえる。また、私は面接や試験などが控えた前日の夜には、カツを食べることにしている。「勝つ」と「カツ」をかけて、カツだけに縁起を"かつ"いでいるのである。(失笑。)

日本の七五三で桃太郎の衣装を着た少年(筆者撮影)

こうして見てみると、フレイザーの唱えたこれらの法則は、日本のまじないにも言えることがわかる。それは、まじないという行為が人類に共通して見られる、いわば普遍的な行為だからにほかならない。私たちは先行きの見えない時、不安に襲われた時に、知らず知らずのうちにまじないを通じて心の安らぎを求めているのだ。

では、台湾の原住民族は、困った時にどのようなおまじないをしているのだろう。


 

  • 台湾原住民族が行うまじないとは?

私は、ルカイ族の集落でお会いしたおじいさんから、彼らのおまじないに関する話を聞いたことがある。ルカイ族に古くから伝わる、ある悪霊について尋ねていた時のことだ。集落の人々からアイディディガヌとよばれているこの悪霊は、集落の外れにある人気のない場所に潜んでいて、そこを通った人々に祟りをおこすことで恐れられていたという。アイディディガヌに祟られると、重い病気になったり、ひどい時にはそのまま命を落としてしまうと言われていて、このアイディディガヌから身を守るために、集落にはさまざまなおまじないが伝わっているのだという。

「若いころ畑作業なんかしている時、そのままそこでご飯を食べたんだけど、そういう時には、必ずまず死んだ人の霊にご飯をあげてから食べるんだ。もし、あげないで先に勝手に食べ始めたら、その人は病気になってしまうんだ。」と教えてくれた。

また、おじいさんと同様、日本統治時代に生まれたおばあさんからは妊婦にまつわるおまじないを教えてもらった。

「妊娠している時に、アイディディガヌがいるところを通る時は、草をお腹のあたりに差し入れないといけないんです。私、以前子どもを生んだ時、赤ちゃんの顔を見たら、なぜかほっぺのところが黒くて、目の様子や鼻の形もおかしかったんです。そこでルカイ族のまじない師に尋ねたら、私がそのおまじないをしなかったから、アイディディガヌにやられたんだ、と。」

こうしたおまじないからは、人々が抱く病や死への恐れが見てとれる。

かつて病院などがまだ集落に無かったころ、原因のわからない病気は人々にとってまさしく命取りであった。人々は災いの元になっているものとして悪霊の存在を互いに認め、不安に打ち克つ方法としてまじないという共通のしきたりを築き上げた。まじないは、私たち人間が何かに恐れる生き物だということを教えてくれる。また、まじないを通じて、人は心の中の恐れを認め、その上で不確かな未来をより確かなものにする思いを強める。まじないというのは、とても人間的な行為である。

そして、先述のおばあさんのお話には、まじない師とよばれる人が出てきた。集落の人々が原因不明の病気になったり、災難が続いたりすると、このまじない師に会いに行って、自分に取り憑いたものをまじないの力で追い払ってもらうのだという。こうしたまじない師は、神々や精霊に選ばれた存在として、集落の人々から畏敬の念を持たれていたのだ。

次編、「台湾原住民族のまじない師」では、こうしたまじない師たちに焦点を当て、彼らの行うまじないの儀式や、集落における彼らの存在意義について紹介していく。

 

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