注目ポイント
米国のようにフィリピンも銃社会だ。国民は約400万丁の銃を所有し、誰もが容易に銃を購入でき、うち数十万丁は不法所持とみられている。長年の貧困や不正、また今月末で退任するドゥテルテ大統領が強行した〝麻薬戦争〟は社会に深い傷跡を残した。それでも、米国のように銃乱射事件はほとんど起きていない。その理由を米誌「タイム」が探った。
フィリピンでは、銃乱射事件と他の銃による死亡と区別する統計はないものの、無差別大量殺害はほぼ発生していないことは確かだ。 2013年に首都マニラの南に隣接するカビテ州で泥酔した男が銃を乱射し、8人が死亡、11人が負傷した前代未聞の事件は今も記憶に新しい。だが、人びとの記憶にあるのはその事件くらいだ。
ただ、フィリピンで銃による他殺事件は少なくない。ヒットマンを300ドルで雇えるほど、銃犯罪に関してはアジアでも最も危険な国の一つだ。例えば、19年だけでも銃を使った殺人は1200件発生。10万人に1人が銃の犠牲になる計算で、この数字はアジアでは最も高い。ちなみに、米国は10万人に4人だった(20年統計)。
また、選挙戦での銃による流血事件もフィリピンではつきものだ。ライバル候補や選挙管理委員会関係者への攻撃で、09年には南部マギンダナオ州の知事選では58人が殺害されるという同国史上最悪の選挙犯罪事件が起きた。それでも、コロンバイン高校銃乱射事件やサンディフック小学校銃乱射事件、つい最近のユバルディ小学校乱射事件のような無差別銃乱射事件はほぼ存在しない。
ところが、フィリピン南部ミンダナオ島にあるカガヤン・デ・オロ大学の犯罪学専門家ジェリー・カーニョ氏は、「それも時間の問題」だと指摘する。「フィリピンの文化は欧米、特に米国の影響を大きく受けていることを考えると、当局や公安関係者はそのうち、そのような事態になることを想定していると思う」と述べた。
では、銃社会フィリピンの歴史はいつから始まったのか。同誌によると、1900年代初頭、米国がフィリピンを植民地化した際、民間人は「合法的な目的」と狩猟のために銃の所有が許可された。
1972年にマルコス大統領が戒厳令を宣言した後、銃の所有はライフル1丁とピストルまたはリボルバー1丁に制限され、ともに免許を取得する必要があった。 だが、2000年、エストラーダ大統領はこれらの制限を解除し、市民があらゆる種類と口径の銃を制限なしに所有できるよう法が改正された。
その後、13年の法改正では公共の場で銃の所有する資格を、21歳以上、銃器取扱いの安全セミナーを受講することなどと定めた。また、免許に応じて、ほとんどの所有者は最大15丁の拳銃、ライフル、ショットガンを所有でき、免許は10年間有効とした。
エストラーダ氏は大統領になる前、アクション映画でマッチョな男を演じ、銃を片手に犯罪者に立ち向かうヒーローとして国民に広く愛された。米国でいえばハリウッドの西部劇のように、「フィリピン人にとってアクション映画の人気が銃の文化を受け入れる土壌になった」とタイム誌は指摘する。