注目ポイント
日本人が台湾を訪問した時に驚くことの一つとして、年齢性別を問わず、日本語がわかる人が多いということが挙げられる。90歳以上の台湾人が若いころは日本統治時代で、日本語はいわゆる第一国語だった。台湾の日本語教育はいつ、どこで、どのように始まり、また、どんな苦難や歴史があったのだろうか。
事件が起きた年の夏、芝山巌社殿の前に、六氏先生を追悼して、内閣総理大臣伊藤博文揮毫による「学務官僚遭難之碑」が建てられた。
≪エピローグ≫
戦後、蒋介石総統率いる国民党が中国本土から台湾に逃げてきて、台湾から日本色を一掃した。芝山では、伊藤博文の建てた碑や芝山巌神社、六氏先生の墓が破壊され、台湾最初の学校芝山巌学堂の学舎は国民党軍統局副局長記念館として雨農閲覧室となり、それはむしろ抗日運動の成果を紹介する場として芝山巌事件が展示された。
芝山巌事件からちょうど100年たった1995年、士林小学校の卒業生らにより六氏先生の墓が再建され、2000年には学務官僚遭難之碑も復元された。
芝山公園正面の石段を上ると、まず遭難の碑が目に入ってくる。その背後に雨農閲覧室、そして閲覧室を裏に回ると有志によってきれいに建て替えられた六氏先生の墓がある。
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