2022-06-07 経済

1軒の貸会議室から始まった空間シェアリング TKP河野社長が開拓した新たなビジネス分野【日台エグゼクティブの眼-Vol.2】

注目ポイント

日台のエグゼクティブにインタビューするThe News Lens Japanの連載企画。貸会議室大手ティーケーピーは、昨年、台湾台北市で大型レンタルオフィス・コワーキングスペース事業を始めた。リーマンショック、3.11、コロナ禍と、大きな危機を乗り越えてきた河野貴輝社長の確信と決意とは

それでも、3月には「まん延防止等重点措置」も解除となり、日本の経済活動は徐々に通常運転に戻りつつある。TKPも2月期第4四半期の決算説明会では、連結売上高が118億円で、営業利益は2億円となり、「ようやく連結黒字で着地できた」(河野氏)とし、来年2月期にはコロナ前に近づく売上高510億円を見込んでいる。

 

リーマン・ショックも3・11の危機も乗り切る

実はTKPにとってコロナ禍は初めてのピンチではなかった。

河野氏の著書「起業家の経営革命ノート」によると、創業以来、初めての深刻な危機は08年9月のリーマン・ショックだった。日本経済は大きな打撃を受け、新卒採用見送りなど、企業の経済活動が大幅に鈍化。「TKPの貸会議室は1か月で5億円ものキャンセルが生じていった」という。

そんなピンチの中で河野氏はあえて米国を訪れ、サンフランシスコ、ラスベガス、ロサンゼルス、ニューヨーク、ワシントンと西から東へ2週間かけて視察。「アメリカの不況が実際はどんなものか、この目で確かめようと考えた」というのだ。その結果、日本で米国の不況が報じられていたのは西海岸など一部の地域だけで、「アメリカ全体としてはむしろ景気がいいほどだった」と同著でそう記している。

日本経済も大丈夫だと確信した河野氏は、リーマン・ショックで急降下していた不動産市場を背景に不動産オーナーと家賃の引き下げ交渉に成功し、貸会議室の時間貸単価を30%引き下げた。すると、窮地を脱するどころか、リーマン・ショックから半年後には売り上げが1・5倍になった。

TKP2度目のピンチは11年の東日本大震災だった。

この時もリーマン・ショックと同様、毎月5億円近いキャンセルが続いた。だが、「日本は必ずこの危機を乗り越えて復活するだろうという確信」と「ピンチのいまこそチャンスに変えていこうという決意」のもと、同社は東京集中から地方分散へと新たな経営方針を打ち出した。

結果として11年には東京エリアの売り上げが全体の80%だったものが、翌年には65%、15年には60%と比率が下がり、地方での展開が進むと同時に全体の売り上げも上昇カーブを描き始めたという。河野氏は「震災というピンチが、TKPを強くする結果につながった」という。

それはようやく出口が見えたコロナ禍の今の状況も同じだ。

TKPの強さは不動産を所有はしていないため、より便利な場所に借り換えることができるフットワークの軽さがある。例えば、同社は名古屋周辺にも多くのスペースを借りているが、このほど名古屋駅直結ビルの空きスペースが見つかり、契約。「顧客にとってより便利で、家賃も安くなるという一石二鳥」を実現した。

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