2022-05-27 特集記事

沖縄諸島とアメリカの関係が意味するもの

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注目ポイント

今年は、アメリカが沖縄を日本に返還して50周年を迎える。 アメリカはなぜ沖縄を領有したのか、アメリカにとって沖縄はどのような意味を持つのか。 これは、沖縄の地理や歴史にはじまる興味深い問題である。

東アジアから東南アジアの外縁、西太平洋に至る長い島々の連なり(後に戦略的に第一列島線と呼ばれる)がある。 北からカムチャッカ半島、千島列島、サハリン、日本列島、琉球列島、台湾島、フィリピン諸島、そして南はニューギニア、オーストラリアに至る。 これらの島々は、東アジア大陸から太平洋への柵を形成している。

琉球列島は、日本列島と台湾島を結ぶ曲線状の長い島々で、東アジア大陸に面している。 また東西は海溝に挟まれており、西側の浅い海溝は沖縄トラフ、東側のとても深い海溝は琉球海溝と呼ばれている。 

琉球列島はいくつかの島で構成されており、北から順に大隅諸島、トカラ列島、奄美群島(以上、薩南諸島)、沖縄諸島、宮古列島、八重山諸島が連なっている。 島が多いので、島と島の間にシーレーンがある。 東アジア大陸の東岸から太平洋にアクセスする最も簡単な方法として、これらのシーレーンは重要な役割を担っているのだ。ポイントは、ひとつは、東アジア本土に最も近いということ。もうひとつは、比較的広くてアクセスしやすいということである。

このように重要な位置にあるにもかかわらず、琉球列島は歴史的に主要な航路上に位置するわけではなかった。 東アジアから琉球列島を経て太平洋に出る航路はなく、その必要性も技術もなかった。 

7世紀以前、中国から外国へ渡るルートは、温州、広州、膠珠から南シナ海ルートを通るか、朝鮮半島を経由して日本へ渡るかのどちらかしかなかった。 唐と日本との交流は、当初は朝鮮半島ルートで頻繁に行われていた。 7世紀半ば、朝鮮半島で新羅が台頭し、新羅と日本の関係が悪くなったため、日本は鹿児島から中国東岸(寧波、揚州)に至る代替ルートを探すことになった。 唐の時代に6回目の東シナ海横断を成功させたルートである。 沖縄に漂着した(こうして初めて沖縄本島の名前が記録された)船もあったが、これが正規の航路だったのか、偶然の事故だったのかはわからない。

琉球列島が再び中国の記録に登場するのは明の時代初期である。 明朝が建国されたとき、偉大な祖先である朱元璋は「布告」(事実上、明朝がモンゴルを倒して正しい統治を確立したことを外国に伝え、認めてもらうこと)のために使者を外国に送り、使者の楊載は琉球にたどり着いた。 以後、中国と琉球は臣従関係を結び、琉球は中国に定期的に朝貢し、中国は琉球の新しい王を即位させるために使節を送った。このころの中国・琉球ルートの記録も残っている。

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