雪のほとんど降らない台湾ではウィンタースポーツは国民に馴染みはなくとも、「平和のスポーツ祭典」での各選手の健闘を応援しながらも、今ひとつ盛り上がらなかったのは、そんな政治的な駆け引きが曇らしたからだと思わざるを得ない。
台湾人が世界規模のスポーツ祭典に参加するには、恐らくこれからも「中華台北」という名前を押しつけられ使い続けるであろう。それでも、ボイコットせずに参加を続ける必要があるのだ。なぜなら、それは中国の台湾に対する国際的封鎖を解き、世界に認められる数少ないチャンスであるからだ。たとえ、本名で呼ばれるようなささやかな一瞬の歓喜でも、国際舞台で自分の置かれている悲しい現状、押しつけられる自分の名前、頻発する領空侵犯する中国戦闘機の武力威嚇、中国沿岸に置かれている数千枚の弾道ミサイル…数えきれないほど多くの苦悩とプレッシャーを忘れられる、台湾人にとっての民族主義の麻薬である。皮肉にも、このような「麻薬」を、これまでも、これからも、五輪という「政治干渉のない」「スポーツマンシップを謳歌する」「平和の祭典」で堂々と世界中の人々、そして綺麗な聖火台の前に乞い続けるのであろう。
平和の祭典の閉幕から一転、ウクライナへの侵攻、聖火が消え戦火を起こした。あの冬季五輪で肩並べ、笑顔を浮かべていた中露の両首脳は何を話されたか。いま思うと、猜疑心が頭を擡げる。
それは、紛れもなく北京五輪のマスコット「冰墩墩」の可愛い笑顔の裏に隠された、もう一つ不都合な現実なのだ。ウクライナでの戦火が続く中、4日には北京冬季パラリンピックが開幕する。これ以上、不都合なことが続かないよう切に願う。
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