2021-12-01 政治・国際

台湾の南国・高雄市で活躍した浅野総一郎氏 ~若かりし頃に氷見の海で見つめたあの夢~

注目ポイント

浅野総一郎氏は、日本富山県西部にある氷見市生まれ(1848~1930)、明治・大正時代を代表する実業家で、「日本の近代を創った男」、「日本のセメント王」などと呼ばれている。

文—季刊の『秋刀魚』、高雄市立歷史博物館、阿普魯、林詔伶

撮影—高雄市立歷史博物館

 

浅野総一郎氏は、日本富山県西部にある氷見市生まれ(1848~1930)、明治・大正時代を代表する実業家で、「日本の近代を創った男」、「日本のセメント王」などと呼ばれている。

 

幼少期は港町で育ち、広い海を見つめながら夢を膨らませていたであろう浅野氏は、薮田村の医家に生まれ、6歳で縁続きの町医者に養子に出されたものの15歳のときに実家に戻り、数々の事業を始めた。いずれの事業も凶作や幕末の混乱などの影響で失敗し、多くの借金を抱え、23歳のときに再起を図ろうと意を決して上京した。若い頃に失敗を繰り返した浅野氏は、後見人の山崎善次郎から、七転八起で足りなければ、九転十起でも良い、失敗しても立ち上がることが大事という教えを受けた。

 

1896年(明治29年)に欧米視察に赴き、英国、ドイツ、米国などの港湾開発の発展ぶりを目の当たりにする。横浜港に戻りその旧態依然とした港の様子に衝撃を受け、工場を一体化した日本初の臨海工業地帯を東京市から横浜市にかけての海岸部に、政府の支援を受けずに独力で建設することを計画する。


 夢実現の場に選んだのは本土ではなく、当時植民地だった台湾の高雄であった。

 

台湾植民地化の翌年1896年に、当時まだ小さな漁港だった哨船頭(後の高雄港)近辺に広大な土地を購入し、埋め立て計画を立てたが台湾総督府に何度も断られた。その後、総督府の財政が枯渇し始めた為、漸く浅野氏の埋め立て計画を許可した。まさに九転十起の精神そのものだ。

 

高雄港一帯の埋め立て成功は、その後、本土での様々な埋め立てとセメント工場建設などの事業展開の推進に影響を及ぼした。

 

台湾南部最大の都市・港湾都市の高雄の誕生は高雄港と密接に関わっており、浅野氏もその過程に尽力した。

 

明治41年(1908年)、高雄発展で最も重要な工事だといわれた台湾総督府による高雄港築港工事が展開された。「哈瑪星」の呼称は打狗駅から南西・南東方向に2本の貨物支線が高雄港や漁港、漁市場、倉庫街へ伸びていたことから、当時の駐在日本人が日本語でこれらを「濱線」(はません、Hamasen)と呼ぶようになった地区である。

 

当時の台湾人居住者もこの埋立地一帯を高雄訛りの台湾語でそのまま音訳して「哈瑪星」と漢字をあて(Há-má-seng)と呼び始めたことが名残となって現在も使われている。

© 高雄市立歷史博物館

新しい街区の埋め立てから、セメント工場の建設まで、高雄に深く影響を残した浅野氏を「高雄の父」と言っても過言ではない。だが、高雄市民にこの歴史は知られておらず、日本でも浅野氏の高雄での実績を知っている方は少ない。

 

高雄市立歴史博物館はそれを踏まえ、2019年12月から「台湾最初のセメント工場 昔と今」の展示を開催し、浅野セメント工場の歴史の説明と、創立者浅野氏のストーリも多く紹介している。展示場には浅野氏と縁深い氷見の「九転十起交流会」が寄贈した浅野氏の彫像も展示されている。

 

展示は2020年8月30日まで開催しており、是非、日本の港町生まれで浅野氏と縁深い、台湾の港町・高雄にお越しください。かつては小さな漁港だった高雄が、今では一大港町にと躍進しました。すべては、氷見のあの果てしなく広がる海から始まった。ぜひ、時空を超えた高雄、氷見との絆を、高雄の海風になびかれながら味わってみてはいかがでしょうか。

© 高雄市立歷史博物館