2022-02-22 経済

世界が仰天したニクソンの中国訪問から丸50年 戦後政治の転機となった毛沢東との握手の意味

© Photo Credit: AP / 達志影像

リチャード・ニクソン米大統領が中国・北京を電撃訪問して21日でちょうど50年を迎えた。東西冷戦の最中、1972年2月21日のニクソンと毛沢東主席の握手は、国際政治の歴史的転機となり、2大国の接近の目的はもう一つの大国・ソ連に対抗するためという〝呉越同舟〟でもあった。

「ニクソンの1週間にわたる〝赤色中国〟訪問は、全世界を揺るがした」と歴史家マーガレット・マクミランは著書「Nixon in China」(2006年)で書き記した。また当時、大統領に随行し、米中首脳会談に同席した若き外交官ウィンストン・ロードは、「このドラマを表現する形容詞は全て使い尽くした」とし、その衝撃の大きさを物語った。

米紙ワシントン・ポストも当時の社説で、「もしニクソン氏が月に行くと発表しても、これほどまでに世界を驚かせられなかっただろう」とし、反共主義を自他ともに認めた大統領の訪中を「本当に仰天だ」と強調した。

空港に到着したニクソン訪中団を出迎えたのは周恩来首相で、ニクソンと堅く握手する模様はテレビで全世界に同時中継された。

米記者団にはワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズなど米有力紙の記者や、「アメリカの良心」と称された「CBSニュース」のアンカー、ウォルター・クロンカイト、ピューリッツァー賞作家ジェームズ・A・ミッチェナーら、米国のトップジャーナリストたちが同行。のちに「ABCイヴニング・ニュース」のアンカーとなるバーバラ・ウォルターズも女性記者3人のうちの1人だった。

また、訪中を実現させた中心人物、ヘンリー・キッシンジャー国家安全保障問題担当大統領補佐官や、この4か月後に発覚した「ウォーターゲート事件」に関与したとして、ニクソンと共に失脚したハリー・ロビンズ・ハルデマン大統領首席補佐官も随行した。

当時の中国は49年の建国以来、23年間も西側への扉を閉じたままで、64年には毛沢東が、「世界の人民は団結し、アメリカという侵入者とその犬どもを打破せよ。全てのモンスターを破壊するのだ」と呼びかけた。一方、ニクソンは「中国は暴動、反乱、政権転覆を自由主義陣営のアジア諸国に仕掛けている」と非難。「世界の覇権国家を目指している」と警戒感をあらわにした。

そんな対立する両国が、ニクソン・毛沢東会談で求めたものは何だったのか。ワシントン・ポストによると、米国はすでに5万人の米兵が命を落とし、泥沼化していたベトナム戦争からの撤退に中国の手助けが必要で、一方の中国は米国が台湾と手を切ることを切望していたという。

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