2022-05-18 政治・国際

連載「いちにの算数いーあるさんすー」 台湾ルネサンス時評:沖縄と台湾の深い繋がり、1972年を境にして。

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注目ポイント

今、沖縄の高校生が台湾の大学に進学するケースが増えている。距離的な近さ、学費の割安感などが人気の理由らしいが、沖縄と台湾はそれ以前から密接な関係があった。特に、1972年の沖縄返還の年には、中国との国交正常化が実現した年であり、つまり、台湾と日本が断交した年でもある。そのとき、台湾と沖縄の人々は何を思ったか。


本サイトでも沖縄返還50年特集を組んでいるが、台湾と沖縄は距離が近いこともあって、昔から繋がりが強かった。今なら那覇から飛行機で1時間で台北まで行けてしまうし、身近さという点では、東京よりもむしろ台湾のほうが上かもしれない。

今、台湾の大学に進学する沖縄の学生が増えているという。理由は学費の割安感や、給付型奨学金の充実、国際社会への対応力を鍛える、などだが、十分な語学力を身につけずに入学してしまい、授業についていけず退学してしまうケースも多いという。しかしながら、日本の大学に行かずに、台湾の大学に行くという発想は、面白い。僕が、もし沖縄の高校生だったら、選択肢の一つとして真剣に考えると思う。

正直、大学の授業なんて、あってないようなものだし、大学時代は「自由」を買う期間だから、より刺激を求めるなら、東京より、台北のほうが、様々な体験ができるに違いない。

話を戻そう。沖縄返還50年でいったい何が変わったのか。という問いよりも、僕はなぜ、台湾のメディアが沖縄返還50年の特集を大がかりに組むのかわからなかった。沖縄問題は日本とアメリカのものだと思い込んでいたのだ。でも、台湾人の友人にその疑問をぶつけてみると、あっさりと僕の疑問は解消された。

沖縄が本土に返還された1972年、日本は、国際社会で孤立の一途を辿っていた台湾と断交した。当時の首相、田中角栄が電撃的に、中国の周恩来と北京で共同声明に署名し、「恒久的な平和友好関係を確立する」ことで一致し、日中国交正常化を果たしたからだ。

日本を祖国と信じ続けていた世代の台湾人や、内地に引き揚げることができなかった日系の人たちは、再び日本に見放されたと思っただろう。また、炭鉱のあった西表島や八重山諸島などに戦前より移住した台湾人の大部分は、沖縄の本土復帰に伴い、中華民国国籍を正式に離脱し、日本人になった。このような歴史を僕は恥ずかしながらちゃんと知らなかった。

台湾有事が仮に起こった場合、台湾人が逃げられるところは沖縄しかないだろう。そのとき、日本はどういう行動に出るのだろう。三度目の正直になるのか、二度あることは三度あるなのか。

 

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