2022-05-16 特集記事

【沖縄復帰50周年】今を紐解く沖縄の歴史

注目ポイント

様々な歴史の波に翻弄され続けてきた沖縄。今また目まぐるしく激動する世界情勢の中で、今後どのような運命をたどることになるのか。本土復帰50周年を迎えた沖縄が、これまでたどってきた歴史的な道のりを、今あらためて紐解きます。

沖縄は日本最南端の行政区であり、歴史上中国との密接な関係があります。明の時代から中国の属国であり、その関係は明と清の時代を通じて何世紀にもわたって続きました。また15世紀には、3つの王国で成り立っていた琉球に、歴史上初の統一政権となる第一尚氏王朝が誕生しています。

しかし、琉球の歴史的発展は決して順調とは言えず、台湾の原住民による宮古島島民遭難事件が発生したことを発端に、日本から2回の「処分」を受け、また第二次世界大戦後は、1972年5月15日に主権が日本に正式移管されるまで米国に統治されていました。

「沖繩返還」50周年を迎えた沖縄、そこにはどんな出来事があったのでしょうか? 米国の統治はすでに終了しています。しかしなぜまだ米軍はそこにいるのでしょうか?これまでの歴史的背景によって、今の沖縄には様々な課題と悲哀が積み重ねられています。

14世紀

14世紀、琉球列島に北山、中山、南山の3つの国家が誕生。琉球の歴史では「三山時代」と呼ばれ、中国・明朝に朝貢するようになった。

 

琉球史上初の統一政権

1406年、中山国王の武寧が地方豪族の佐敷按司である尚思紹・尚巴志父子によって倒される。そして「第一尚氏王朝」が成立し、明朝の承認を得る。中山国は尚巴志の指揮のもと、1416年に北山国を、1429年に南山国を滅ぼす。第一尚氏王朝は、首里城を中心とした琉球史上初の統一政権となった。

 

第二尚氏王朝

1469年、第一尚氏王朝の尚徳が急死し、代わりに有力な重臣である金丸が就任し尚円と改名。そして、1471年に明朝から中山国王の称号を授かり「第二尚氏王朝」が成立した。

 

16世紀

16世紀(日本の戦国時代)、倭寇が横行したことにより明朝と日本の関係は悪化し、貿易が制限された。貿易による権益を維持・拡大する必要のあった日本の大名にとって、中国との貿易を維持していた琉球は、侵略対象の一つとなった。

倭寇|Photo Credit: Unknown @Wiki Public Domain

 

薩摩藩の属国

1609年(万里37年、慶長14年)、九州の薩摩藩が琉球に侵攻。戦いに敗れた琉球中山国の尚寧は、琉球を薩摩の属国と認める「掟十五箇条」に署名したが、中国との貿易を継続する目的において、琉球王国は名目上独立していた。

 

中国と薩摩の相互に帰属

1871年、明治維新の「廃藩置県」で薩摩藩が廃止された後、琉球王国は鹿児島県に編入された。しかし琉球王国は中国と薩摩の相互に属していたため、正式に日本に併合されてはいなかった。

 

宮古島島民遭難事件

1871年、首里城に年貢を納め帰途についた八重山商船が嵐のため遭難。台湾東海岸(今日の屏東・満州郷・九棚付近)に漂着し、台湾山中をさまよう宮古島島民が原住民に殺害された。これが「宮古島島民遭難事件」である。

 

琉球が正式に日本領土に編入

1872年、日本は正式に琉球藩の設立を宣言し、琉球の尚泰は「琉球藩王」に任じられた。これは「第一次琉球処分」と呼ばれ、琉球が正式に日本領土に編入されることとなった。

 

牡丹社事件

1874年、日本は「宮古島島民遭難事件」によって琉球人が被害を受けたとして、台湾出兵を強行した(一連の経緯を称して「牡丹社事件」という)。戦後、清国は日本の出兵に対し「正義の行為」として黙認し、日本の琉球に対する宗主権は否定しなかった。1875年以降、日本は何度も尚泰に清国との国交を断絶するよう求めたが、すべて拒絶された。

牡丹社事件絵図|Photo Credit: 月岡芳年 @Wiki Public Domain

 

第二次琉球処分

1879年3月、日本政府は琉球に軍隊を派遣して交渉を進め、4月には琉球藩の廃止と沖縄県の設置を発表した。これが「第二次琉球処分」である。 それに対し清国から抗議を受けるが、1895年の日清戦争で清国が敗北したことにより、かねてからの琉球の問題は安定化した。

 

米国の占領期

第二次世界大戦中の1945年4月1日、アメリカ軍は沖縄本島への上陸作戦を開始し、宜野湾市にある日本軍の施設「普天間飛行場」を占領した。その年の6月22日までには沖縄全土が占領され、8月15日の日本の無条件降伏宣言によって、沖縄は米国による占領期に入った。

1945年4月24日、沖縄戦中の米軍はルーズベルト大統領の訃報を受け、喪に服して半旗を掲げた|Photo Credit: AP / 達志影像

 

国連への引き渡し

1951年、日本は欧米とのサンフランシスコ講和条約に調印し、琉球列島を国連に引き渡すことに合意した。1952年4月1日、米国は「琉球政府」を樹立。

 

沖縄返還協定

1970年代、当時の首相、佐藤栄作氏は沖縄の主権を大きな問題として掲げており、沖縄では米国統治に対する抗議が続いていた。また、1968年には初の琉球政府主席公選が行われ、沖縄返還を主張した屋良朝苗氏が選出。1971年、日米は沖縄返還協定に調印。

 

米国が沖縄の主権を日本に返還

1972年5月15日、沖縄の主権が米国から日本に返還され、屋良朝苗氏が初代の沖縄県知事に選出される。

 

米軍レイプ事件

1995年、沖縄のキャンプ・ハンセン駐留米軍による12歳少女のレイプ事件が発生。長年にわたる治安、騒音、飛行安全性の問題と相まって、沖縄県民の米軍に対する不満が高まり、普天間基地の移設問題へと発展。

2枚の写真は、キャンプ・ハンセンで沖縄の少女をレイプした海兵隊員。左側はロドリコ・ハープ(Rodrico Harp)、右側はケンドリック・レデット(Kendrick Ledet)|Photo Credit: AP / 達志影像

 

米軍基地移設問題

2009年の衆議院選挙では、普天間基地の県外移設を長年主張してきた民主党が圧勝。しかし、鳩山由紀夫氏が政権を握った後は、より保守的な姿勢へと移行。沖縄から県外への移設は容易ではなく、宜野湾市から名護市の辺野古への移転が妥当な選択であると言及。

 

鳩山内閣の崩壊

2010年5月、民主党政権は、普天間基地の移設先を検討する上での日米合意の維持を決定した。その結果、社会民主党が連立政権から離脱し、鳩山由紀夫氏は日米関係や米軍基地の問題に対し国民の期待に応えることができなかったと、6月2日に辞意を表明した。

沖縄の米軍基地問題への対応に不満が募り、鳩山由紀夫氏は辞任を表明した|Photo Credit: AP / 達志影像

 

沖縄にとっての50年、それは500年にも相当するような歴史的な重みがあります。それは自らの意志で積み上げたものではなく、他者の決定による運命を受け入れてきた歴史でもあると言えます。

普天間基地の移設問題は、何十年にもわたって沖縄を取り巻く大きな課題であり、政権がどのように変わっても明確な結論が見出せないままでいます。そこには、誰もが避けては通れない歴史的・時代的な共通項があります。

この先の50年、沖縄はどのような歴史を歩むのか。そしてそれは、沖縄の自らの意志で切り開いていけるものなのであろうか。

 

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