注目ポイント
様々な歴史の波に翻弄され続けてきた沖縄。今また目まぐるしく激動する世界情勢の中で、今後どのような運命をたどることになるのか。本土復帰50周年を迎えた沖縄が、これまでたどってきた歴史的な道のりを、今あらためて紐解きます。
沖縄は日本最南端の行政区であり、歴史上中国との密接な関係があります。明の時代から中国の属国であり、その関係は明と清の時代を通じて何世紀にもわたって続きました。また15世紀には、3つの王国で成り立っていた琉球に、歴史上初の統一政権となる第一尚氏王朝が誕生しています。
しかし、琉球の歴史的発展は決して順調とは言えず、台湾の原住民による宮古島島民遭難事件が発生したことを発端に、日本から2回の「処分」を受け、また第二次世界大戦後は、1972年5月15日に主権が日本に正式移管されるまで米国に統治されていました。
「沖繩返還」50周年を迎えた沖縄、そこにはどんな出来事があったのでしょうか? 米国の統治はすでに終了しています。しかしなぜまだ米軍はそこにいるのでしょうか?これまでの歴史的背景によって、今の沖縄には様々な課題と悲哀が積み重ねられています。
14世紀

14世紀、琉球列島に北山、中山、南山の3つの国家が誕生。琉球の歴史では「三山時代」と呼ばれ、中国・明朝に朝貢するようになった。
琉球史上初の統一政権

1406年、中山国王の武寧が地方豪族の佐敷按司である尚思紹・尚巴志父子によって倒される。そして「第一尚氏王朝」が成立し、明朝の承認を得る。中山国は尚巴志の指揮のもと、1416年に北山国を、1429年に南山国を滅ぼす。第一尚氏王朝は、首里城を中心とした琉球史上初の統一政権となった。
第二尚氏王朝

1469年、第一尚氏王朝の尚徳が急死し、代わりに有力な重臣である金丸が就任し尚円と改名。そして、1471年に明朝から中山国王の称号を授かり「第二尚氏王朝」が成立した。
16世紀

16世紀(日本の戦国時代)、倭寇が横行したことにより明朝と日本の関係は悪化し、貿易が制限された。貿易による権益を維持・拡大する必要のあった日本の大名にとって、中国との貿易を維持していた琉球は、侵略対象の一つとなった。

倭寇|Photo Credit: Unknown @Wiki Public Domain
薩摩藩の属国

1609年(万里37年、慶長14年)、九州の薩摩藩が琉球に侵攻。戦いに敗れた琉球中山国の尚寧は、琉球を薩摩の属国と認める「掟十五箇条」に署名したが、中国との貿易を継続する目的において、琉球王国は名目上独立していた。
中国と薩摩の相互に帰属

1871年、明治維新の「廃藩置県」で薩摩藩が廃止された後、琉球王国は鹿児島県に編入された。しかし琉球王国は中国と薩摩の相互に属していたため、正式に日本に併合されてはいなかった。