世界的に叫ばれた「#Metoo」ブームに追い立てられるように、日本ではここ数年ジェンダーレス化に代表される制服改革が進んでいる。一方、近隣国の台湾においても制服は日常的な風景の一部でありながらも、極めて政治的な象徴の一つでもある。前回は戦前までの流れを回顧しながら台湾人と制服の関係を見てきた。その根底にあるのは日台の強い関連性であり、戦後も日本の制服が台湾人の心を揺り動かしてきたことが分かる。台湾の制服に集約される歴史とエネルギーは「野百合」と「ヒマワリ」を抜きにしては語れない。
1987年に戒厳令が解除されると、それまで38年間ものあいだ厳しく抑圧されていた民衆の声が噴出した(注1)。若者の活動としては1990年の野百合学生運動があげられる。当時の台湾では40年以上改選せずに同じメンバーが国民大会代表として国会に鎮座し、時世にそぐわぬ法案を次々と押し通していた。これに反対の声を上げた大学生たちが6000名以上自主的に集まり、絶食をはじめとした平和的な抗議活動を連日行ったのである。6000名は今日から見ると大した数字ではないが、インターネットも携帯電話もない時代では社会を揺るがす数字であった。そして青年たちの声は当時の李登輝総統に聞き入れられ、万年国会が解散されて民主化の大きなターニングポイントとなった。この時の大学生たちはのちに野百合世代と言われ、政治家やジャーナリスト、学校教員などとして次の世代に社会への強い関心と行動力をバトンタッチした。
野百合の次に特筆すべき大きな学生運動は2014年のヒマワリ学生運動である。世間では中国市場進出と中国からの資金を期待する側と、中国企業と中国政府による企業買収や人材の流出、言論や情報の安全性を心配する側に分かれて激しい論争となった。その中で当時の政府は中国と互いに市場を開放しようとサービス貿易協定を無理やり締結しようとしたのである(注2)。最初に立ち上がったのは大学生たちであったが、SNSによってすぐに消息は全国に広まり、次第に中学高校からも支持者が現れた(注3)。その後、学生たちの主張を飲み込む形で協定は撤回となったが、人権や民主主義、自由は台湾で再び話題となり燎原の火のごとくに「制服」にまで延焼した。2015年には政治的な偏りがあるとして、新しい教育指導要領への抗議活動が台中一中や建国中学などいわゆる進学校の生徒によって引き起こされた。また、2016年には台南女中や台北女中など伝統ある名門女学校においても服装についての議論が交わされ、校則を変更させたのである。