また、同じ漁業の町でも、富山県内で氷見に「魚取社」が多いのは、純粋に能登から広がっていったからだと考えられるのではないでしょうか。
魚を引き寄せて大漁をもたらす「松」
余談ですが、射水市の放生津八幡宮の看板には、このような言葉もありました。
松の古木は神霊の依り代として大切にされ、(奈呉の)砂浜には松林があったと言われます。〜中略〜 松は、魚寄せ松とも言われ、魚を引き寄せて大漁をもたらすと信じられてきました。実際、明治40年(1907)と41年(1908)に、当時の漁業協同組合が、東浜納屋地に約3万本の松の苗を魚附林として植樹しています。
氷見市の窪から柳田、そして高岡市の島尾にかけての砂浜にも松林があり「松田江の長浜」と呼ばれています。氷見の漁師たちも、松田江の松に、大漁を願っていたかもしれません。
私たちも社名に「松」と宿していることにも、どこか縁のようなものを感じました。魚寄せ松のように、魚を引き寄せて大漁をもたらすような存在になれたらと思います。
まとめ
ほかにも「魚取社」を調べている過程で、いろいろな新しい発見がありました。氷見に伝わってきたのは江戸時代で、この頃から氷見の漁業も盛んであったことがわかりますね。
氷見のあちこちにある「魚取社」。みなさんも氷見でドライブや散策をしていると、見かけることがあると思います。ぜひこの長い歴史に思いを馳せ、氷見の漁業の繁栄を願っていただけたらと思います。
皆様コロナ禍が落ち着いたら是非足を運んでみてください。
松本魚問屋オフィシャルサイト:https://matsumoto-uodonya.co.jp/