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2022-03-01 観光

氷見の海岸沿いにある「魚取社」の話 松本魚問屋 vol.2

© 松本魚問屋オフィシャルサイトより

 

大漁をもたらす神を祀る「魚取社」

今回は氷見の海岸部にある、「魚取社(なとりしゃ)」という名前の神社を紹介します。

「魚取社」は10社ほど点在しています。松本魚問屋の本社がある地蔵町にも「須々能神社」という魚取社があり、昔から親しまれてきました。

© 松本魚問屋オフィシャルサイトより

© 松本魚問屋オフィシャルサイトより

氷見市立博物館の資料によると、「魚取社」はえびす様を祀る神社。文字からも連想できる通り、もともとは大漁をもたらす神、海上安全の守り神として、漁業関係者に信仰されてきました。それがのちに商家や農家にも受入れられ、商売の守り神としても浸透していったそうです。

漁業が盛んな氷見に「魚取社」が多いのは納得がいきますが、どうして富山県内でも新湊や魚津ではなく、氷見の沿岸部に集中しているのでしょうか。

また、石川県珠洲市には「須須神社」という、地蔵町の「須々能神社」に似た名前の神社がありますが、何か関係があるのでしょうか。

その2つの疑問をもとに、ルーツを調べてみることにしました。

魚取の神は、珠洲の神で、美保の神

まず、射水市の放生津八幡宮に、境内末社として「魚取社」があると聞き、何かヒントがないかと伺ってみました。すると「魚取社の御由来」と書かれた看板が建っていました。冒頭に書かれていた言葉を紹介します。

© 松本魚問屋オフィシャルサイトより

古老伝説に「御祖神は海からやって来られる。その時、能登から風が吹く。」があります。魚取の神は、珠洲の神で、美保の神とも言われます。珠洲には、大国主命と奴奈川姫命との間に生まれた御穂須須美命が祀られ、「出雲国風土記」には、美保の地名は、御穂須須美命に由来すると伝わります。また、出雲の美保神社には、事代主神が祀られています。

※許可をとって文章を掲載しています。

少し解説すると、「出雲の美保神社」とは、全国に3,000以上あるえびす様(=看板の文中にある事代主命)の総本宮です。氷見に点在する「魚取社」のルーツは、珠洲、そして出雲にあるのは間違いなさそうです。

能登から越中への出雲信仰の広がり

そのルーツを確証づけるかのように、「出雲を原郷とする人たち」という本には、能登から越中への出雲信仰の広がりについて紹介されていました。そのなかの高岡の気多神社についての紹介を抜粋します。

(高岡の越中式内社・気多神社は、)

能登(羽咋)のオオナムチと越後(糸魚川)のヌナカワヒメを結ぶかのように、この二神を祭る。越中氷見の海岸近くには、両神の御子神ミホススミを祭る須々能神社もある。

「出雲を原郷とする人たち」より

さらに、氷見市立博物館に収蔵されている、江戸後期の『応響雑記』(※1)にはこう書かれていました。

天保9(1838)年閏4月、不漁のため漁村の住民が談合し、能登の三崎権現(須須神)へ祈祷に出向いた。

※1 応響雑記 …氷見町の町役人を歴任した田中屋権右衛門が、33年間にわたって書き綴った日記

文中にある三崎権現(須須神)とは、まさに「須須神社」のことなのです。

参拝者が帰船した日から大漁となり、町が繁栄したため、同年5月、沖合の唐島(氷見漁港から300mの沖合にある濃い緑に覆われた島)に能登の三崎権現(須須神)を勧請して祀ったのが、このあたりの「御穂須須美命(ミホススミ)」信仰の始まりと言われているそうです。

最初に予想していた通り、地蔵町の「須々能神社」は、やはり珠洲の「須須神社」にルーツがあるだろうとわかります。そして、どちらも「御穂須須美命(ミホススミ)」が社名の由来となっていると考えられます。

ちなみに、珠洲市という地名の由来もいくつかの説がありますが、「御穂須須美命(ミホススミ)」が祀られているから、という一説もあるそうです。

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