注目ポイント
今夏、1年遅れで開催された「東京オリンピック2020」では、日本の水谷隼選手と伊藤美真選手のペアが中国ペアに勝利し、日本卓球界初の五輪金メダルを決めた。その盛り上がりも影響してか、街の卓球バーや卓球場がコロナ禍にもかかわらず賑わっている。しかしそんなブームを超えて、日本のグラフィックデザイン界のレジェンド、浅葉克己(81歳)は世界中で「ピンポン外交」と称した活動を続けている。
先頃石川県珠洲市で開催された「奥能登国際芸術祭 2020+」では、台座の部分が9トンもある芸術としての石の卓球台第3号を設置、卓球大会を開催した。
この石の卓球台が設置されたのは、佐渡から定期的にフェリーが到着する待合室の前。
待合室は「さいはてのキャバレー」と化し、9月に始球式が行われた。
浅葉は「芸術祭は3年おきだそうだけれど、卓球大会は毎年やりたい」と、情熱を込める。
浅葉のデザインでの活動は2006年に開催された世界のグラフィックデザイナーの組織AGIの日本大会を実現させるなど世界に及ぶが、一方で卓球を通じての交流も世界に及ぶ。1975年に、写真家・十文字美信と出会い、卓球クラブ「東京キングコング」を設立。

当時のことを、こう語る。
「広告のロケで十文字君と一緒になり、夜な夜な飲んでいると、ふと彼が『卓球』と口にした。僕はそれを聞き逃さず『今、卓球って言わなかった?』と言い、子どもの頃からの卓球熱を語ると、クラブを作ろうということになった。
チーム名は、山口はるみさんと資生堂の仕事をしていて、資生堂パーラーで打ち合わせの時に『卓球チームを作るんだ』と言ったら、即答で『いい名前があるわよ。ping pong の p を k に変えて『東京キングコング』にしたら強そうじゃない。」と言われた。お!これはいただき!と思い、名前にしました」
東京キングコングは台湾、中国はもちろん、モンゴル、北朝鮮、北極にまで遠征。また、1990年1月には東京・新高輪プリンスホテルで前代未聞の「卓球ディナーショー」を開催した。
「僕たち卓球人は卓球を『面白い、深い、難しい』と神聖に思っているのに、当時、代理店に調査してもらった一般人のイメージは『暗い、ダサい、古くさい』。これを一夜にして払拭したいと思ったのです」
世界チャンピオン、オリンピックの金メダリストを招き、コシノジュンコがファッションを担当。作曲家に三枝成彰を起用するなど、錚々たるイベントで、3万円のチケットが900枚完売したという。
同クラブの初の台湾遠征は1986年。台湾全島チャンピオンチームや、中山大学チームと戦った。
「台湾に負けました。しかし負けても負けても、また挑戦するのです。僕は台湾には深い縁があります。母親の浅葉ふさは、若い頃に横浜港から船で台湾へ行き、2年ほどいたことがあるというのです。戦前、親戚が台北で大西百貨店という店を経営していたのです」

© 撮影: 岡村喜知郎