2021-12-01 ライフ

卓球を明るく。デザイナー界のレジェンド、浅葉克己の「ピンポン外交」

注目ポイント

今夏、1年遅れで開催された「東京オリンピック2020」では、日本の水谷隼選手と伊藤美真選手のペアが中国ペアに勝利し、日本卓球界初の五輪金メダルを決めた。その盛り上がりも影響してか、街の卓球バーや卓球場がコロナ禍にもかかわらず賑わっている。しかしそんなブームを超えて、日本のグラフィックデザイン界のレジェンド、浅葉克己(81歳)は世界中で「ピンポン外交」と称した活動を続けている。

先頃石川県珠洲市で開催された「奥能登国際芸術祭 2020+」では、台座の部分が9トンもある芸術としての石の卓球台第3号を設置、卓球大会を開催した。

 

この石の卓球台が設置されたのは、佐渡から定期的にフェリーが到着する待合室の前。

 

待合室は「さいはてのキャバレー」と化し、9月に始球式が行われた。

 

浅葉は「芸術祭は3年おきだそうだけれど、卓球大会は毎年やりたい」と、情熱を込める。

 

浅葉のデザインでの活動は2006年に開催された世界のグラフィックデザイナーの組織AGIの日本大会を実現させるなど世界に及ぶが、一方で卓球を通じての交流も世界に及ぶ。1975年に、写真家・十文字美信と出会い、卓球クラブ「東京キングコング」を設立。

当時のことを、こう語る。

 

「広告のロケで十文字君と一緒になり、夜な夜な飲んでいると、ふと彼が『卓球』と口にした。僕はそれを聞き逃さず『今、卓球って言わなかった?』と言い、子どもの頃からの卓球熱を語ると、クラブを作ろうということになった。

 

チーム名は、山口はるみさんと資生堂の仕事をしていて、資生堂パーラーで打ち合わせの時に『卓球チームを作るんだ』と言ったら、即答で『いい名前があるわよ。ping pong の p を k に変えて『東京キングコング』にしたら強そうじゃない。」と言われた。お!これはいただき!と思い、名前にしました」


東京キングコングは台湾、中国はもちろん、モンゴル、北朝鮮、北極にまで遠征。また、1990年1月には東京・新高輪プリンスホテルで前代未聞の「卓球ディナーショー」を開催した。

 

「僕たち卓球人は卓球を『面白い、深い、難しい』と神聖に思っているのに、当時、代理店に調査してもらった一般人のイメージは『暗い、ダサい、古くさい』。これを一夜にして払拭したいと思ったのです」

 

世界チャンピオン、オリンピックの金メダリストを招き、コシノジュンコがファッションを担当。作曲家に三枝成彰を起用するなど、錚々たるイベントで、3万円のチケットが900枚完売したという。


同クラブの初の台湾遠征は1986年。台湾全島チャンピオンチームや、中山大学チームと戦った。

「台湾に負けました。しかし負けても負けても、また挑戦するのです。僕は台湾には深い縁があります。母親の浅葉ふさは、若い頃に横浜港から船で台湾へ行き、2年ほどいたことがあるというのです。戦前、親戚が台北で大西百貨店という店を経営していたのです」

© 撮影: 岡村喜知郎

浅葉自身も台湾を愛し、実際に仕事も多く、アーティストたちとの親睦もある。

 

「台湾のデザインブームに火がついたのは2008年に国立台湾大学で開催された『台北・東京国際タイポグラフィ展あたりからではないか。僕の作品が3分の1、台湾作家展が3分の1、東京TOC展が3分の1。僕は50点の作品を持ち込みました。2015年には初めて台中でも講演しました。そんなふうに仕事で何度も台湾には行っていますが、故宮博物館と卓球は必ずセットで欠かせません」


浅葉は80歳を超えた今も、毎週、卓球クラブ「東京キングコング」の活動を続け、ラケットを握る。

 

「ひとりピンポン外交は終わりません!東京キングコング」は全国クラブチーム戦で50代の部5連覇中です。コロナ禍で2年間中止ですが、2022年には6連覇を狙います。これは新記録ですよ」

 

日本で卓球がここまで明るい場所へやってきた裏側に、浅葉克己の情熱も存在するのである。

 

浅葉克己(あさば・かつみ)

1940年神奈川県生まれ。県立神奈川工業高校図案化卒業。桑沢デザイン研究所、ライトパブリシティを経て、75年浅葉克己デザイン室を設立。代表作に、サントリー「夢街道」、西武百貨店「おいしい生活」、武田薬品「アリナミンA」、三宅一生のロゴマーク関連など。日本アカデミー賞、東京ADC最高賞、紫綬褒章、旭日小綬章、亀倉雄策賞など受賞多数。東京ADC委員、東京TDC理事長、JAGDA理事、桑沢デザイン研究所10代目所長、東京造形大学客員教授。京都精華大学客員教授。青森大学客員教授。卓球六段。

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