2022-05-12 経済

月イチ連載「山本一郎の#台湾の件」第2回:長崎平戸に生まれた鄭成功と明清交代に見る台湾史への憧憬

東アジアの歴史の立役者

台湾を語る際に、日本人としてどうしても視野に入ってくるのは鄭成功が彩ったわずか22年の鄭氏政権であります。いまの長崎県平戸市の貿易商の娘さん・田川マツさんと海賊・海将の鄭芝龍との間に生まれた鄭成功(16241662年)が歩んだ歴史が、実はこんにちの台湾の国家としての原形を作ったんだよという話は歴史が紡ぐロマンを感じさせるんですよね。

明朝末期、騒乱のさなかで最終的には明は滅ぼされ清王朝(1616年、統一王朝としては1644年)が樹立されるにあたり、父親であった鄭芝龍は清朝側に、鄭成功は明朝に立ち、転戦の末に台湾に逃れて権益を保持していたオランダを追い出し実質的に台湾に鄭氏政権(16611683年)という主権を確立しました。

私も学生時代に台湾の歴史に興味を持ち、バスを乗り継いで平戸にある鄭成功記念館に足を向けたことがあるのですが、いまも昔も実のところ中国と台湾、日本とは極めて近しい関係にあってお互いに影響を及ぼし合い続けてきたのだと実感するわけですよ。

豊臣秀吉による慶長の役が15971598年、徳川家康による江戸幕府の開府は1603年であり、我が国の戦国時代の残り香も強いところ、東アジアの歴史の立役者でもあった鄭成功が活躍した時代は、ちょうど西欧の大航海時代とともに欧州、中東とアジアが密接に絡み合ってきました。

欧州の歴史を考えるにあたって、多くが大航海時代でのアジア進出の文脈でオランダによる通商拠点として台湾が重要な位置を占めてきたことは重要なことで、良く知られています。ポルトガルによる台湾の「発見」は偶然発見された「美しい島」を意味するフォルモサが欧州史における台湾の初出とされます。もちろん、欧州人がどう思おうが台湾にも周辺国にも住民の生活があったわけで、大きなお世話だと言えないこともないのですが、欧州と中国および東アジアにおける航路開拓において、このときすでに台湾の戦略的重要性が如実に把握されていたことは特筆するべきことでしょう。昔から、大事なところにあるんですよ台湾は。

現在の台湾の原型とも言える国作り

1662年にはオランダ最後の本拠地ゼーランディア城が鄭成功により陥落させられ、台湾のオランダ統治時代が終わるとともに同年鄭成功も熱病で亡くなってしまうわけですが、単独の政権が台湾に樹立されたという意味で、鄭成功は文字通り「台湾の民族的英雄」の地位を確立することになります。

他方で、明朝末期の隆武帝に初謁見で実績を評価され、国姓の朱姓を授けたことから国姓爺の異名を鄭成功は取ることになりますが、この台湾で初めての漢民族による単独政権は清朝に降伏するまでの間、官僚による中央集権指導体制で統治を行ったため主権を確立したと扱われます。追い出されたオランダもその台湾が航行上重要な位置にあることから関係の修復を鄭氏政権の間で進め、オランダ東インド会社による交易も鄭氏政権を「台湾王国」との名称で契約を締結していることも明らかでした。

鄭氏政権が清朝に服属するまでは、長崎に来航した唐船は中華仕様の鄭氏配下のものであって、鄭成功出生の平戸もまた江戸時代の日本において重要な対外貿易の一翼を担い、琉球(王国)、朝鮮半島と並んで台湾は重要な貿易相手として、また、対欧諸国との貿易の中継地として機能してきたことになります。

鄭成功像 Photo Credit: Shutterstock / 達志影像


「四つの口」と長崎貿易――近世日本の国際関係再考のために―― https://www.nippon.com/ja/features/c00104/


とりわけ、台湾鄭氏政権の重要な側面は、政治的に独立した主権王朝として台湾で統治を行ったことにとどまらず、鄭成功やその子息・鄭経以下、積極的な屯田と交易政策で鄭氏らしい貿易網を構築し、その戦略的重要性を駆使して海洋国家・貿易立国である現在の台湾の原型とも言えるような国作りの土台を作ったことにもあると言えます。

ジャワ島での交易拡大だけでなく、父・鄭成功がぶん殴って追い出したオランダ人が率いる東インド会社に対して、国姓爺を引き継いだ鄭経があろうことか「貿易を再開したいと思っている」と堂々と書簡で打診かけてたり(1671年)するあたり、台湾オリジンのしぶとさや計算高さを強く感じるわけですよ。久礼克季さんのこの論文、面白いなあと強く思うんですよね。これぞ台湾だ、と思えて。


台湾鄭氏‐中国南部‐東南アジアを結ぶ諸条件とオランダ東インド会社https://www.rikkyo.ac.jp/research/institute/caas/qo9edr000000ml88-att/b_35.pdf


鄭氏台湾から息づいている知恵の種

もちろん、16世紀から17世紀にかけての明清交代期という歴史的事態で東アジア・東シナ海をまたにかけ活躍した鄭成功・鄭経ら鄭氏政権の意義は感じつつも、これがそのまま現代の台湾人と東アジア各国の関係の写し鏡にするには難はあるかもしれません。私も実家・山本家は船乗りの家系ですが、いまの私を見て荒っぽい船乗りの血が騒ぐことはあるかと聞かれても困惑することも多々あります。

ただ、歴史の中での台湾史を見ると、鄭氏政権を筆頭として台湾の独特で重要なポジションが荒れ狂う時代の中で息づき、台湾人が考え生き残る知恵の種のようなものを感じさせてなりません。なんというか「状況に応じて上手いことをやる」台湾人とともに、あるときは肩を並べて語らい、あるときは煮え湯を飲んだり飲まされたりする日本人との関係にもまた大きな影響を与えているのではないか、と。

また、南明抗清の名将として語り継がれる日本生まれの鄭成功が、もしもあのとき滞陣することなく一気に南京北伐を達成していたら、その活躍に期待を残して逝った隆武帝の遺志もまた違った形で成就したかもしれないと思うと限りないロマンも感じるんですよね。

ちなみに、偉大な鄭成功には弟さんがおり、平戸に残っていまなおその血筋系譜はご健在であるとも伺う機会があり、心を暖めたりもしております。もしも長崎旅行で足を向けることがあれば、ぜひ鄭成功記念館に来てみてね。

 

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