建築の設計を生業にしていると、いろんなクライアントと仕事をすることになります。
多くのクライアントは、完成予想図を見て、竣工後のモノの少ない生活像に憧れを抱いています。でもそれだと引き渡したときが完成で、生活しだすと物が増えて、傷が増えてどんどん劣化していくように捉えられがちです。では逆に、生活によってどんどん素敵になっていく家ってどんなものなのでしょうか?
そもそも「家」ってなんだろうか?
「家」という言葉はいろんな状況で使われます。住んでいる家の物体を表す場合や家族や家系を表す場合もあります。家族を表す場合も、物体を指すこともあるし、その関係性を指すこともあります。またその中に自分も含まれています。
つまり「家」は見える物体も見えない関係をも含んだ言葉なのです。もちろん物体としては、時が経つごとに傷ついたりもしますが、たまにメンテナンスをして、また違うものになったり。人の関係性も日々変わっていきます。だからこそ「家」はずっと変化しているのです。
「家」と呼んでいる物体の中だけで起こることが「家」ではありません。
暮らしている場所の周りにも住人がいて、挨拶したり、ごみを出したり、道を掃除したり、庭の手入れをしたり、家の周りの飲食店でご飯を食べたり、散歩したり。
日本の解剖学者の養老孟司さんが「農業をしている人は自分の家の畑で採れたものを食べているから、前の畑も自分だと思っている」と取材で応えていたのを見て、ぽん、と膝を打ちました。そう考えると、「家」の中に町が含まれているのです。(fig1)

(fig1)
そんなことを考えながら自分も住む場所を建てる機会を得ました。
現在の僕の住まいは自分自身で設計し、一部施工もしました。神奈川県川崎市川崎区にあります。川崎区という町は港側に工場地帯があり、今でも町工場がちらほら動いています。しかし、東京や横浜へのアクセスがよいため、近年ではそういった町工場が、建売の戸建住宅に建て替わり、マンションに建て替わっています。戸建住宅も外壁はサイディングだけれども住宅ごとに色やパターンが違い、街並みとしてのちぐはぐさが目立ちます。その過渡期の中で、町の中に様々なスケール感や色があり、それがとても豊かなことに思え、空間の中にも取り入れたい、と考えました。(fig2)

(fig2)
真ん中に鉄骨柱のある、田の字(four-square-grid)のプランで、がらんとした空間です。外形は敷地境界線や周辺の建物にも光が入るように角を斜めにカットしています(fig3)。構造的に必要な壁は外周部だけで、誰でも真似できるようなシンプルな構成です(fig4)。
