2022-02-01 経済

台湾はいつも元気いっぱい(第3回)

―奇跡の始まり―

筆者が初めて台湾に来た1980年代初頭、台湾十大建設がまもなく完成しようとしていた。十大建設とは、蒋経国元総統(蒋介石の長男)によって70年代前半から進められていた6か年計画のことで、桃園国際空港や原子力発電所、中山高速道路などの建設が含まれる。経済に関しては、紡績・アパレルをアジアや中国にシフトし、台湾は電子・電機産業に力を入れ、業績を伸ばしつつあった。1985年のプラザ合意後、世界は好景気に見舞われ、台湾の経済成長率も二桁に伸びた。

1980年代前半の台北は、昭和30年後半から40年代の日本の高度経済成長期のように活気にあふれ、台北の町や人々を最初に見た時、私は一種のノスタルジーを感じた。今思い返せば、その頃の台湾は、経済が押せ押せムードの時期で、どこもエネルギーにあふれ、あちこちで工事が行われていた。筆者が勤めていた日本語学校では日本人教師の時間給は170~200元であったが、2~3年も経たないうちに2倍以上に上がった。鶯歌町(台北の西南にある陶芸で有名な町)の陶芸工場で働く人の月給は8000元くらい。台北市内のバス運賃は冷房車が8元、冷房無しのバスは6元であった。(当時のレートはおよそ1元=6円)

 

―変わりゆく街―

1987年、38年間続いた戒厳令が解除された。海外で活躍していた台湾の学者や技術者たちが続々と帰国、新竹科学工業園区(新竹サイエンスパーク)の建設も始まり、産業はローテクからハイテクにシフトし、半導体やパソコンなどの製造に軸足を移した。90年代には経済成長率はだいたい年6%で安定し、民間消費、輸出入全てにおいて増加、21世紀に入ると、GDPは3~5%で毎年成長を続け(2007年のリーマンショックによるマイナス成長も一年間で回復)、台湾経済は絶頂期を迎えた。

90年代後半から、筆者の友人・知人のうち何人かは自分で日本語学校を経営する人や、日本語教師として大学に就職する人もいた。日本語教師の時間給は700~1500元くらいに、単純工場労働者の月給は12000元以上、大学の専任教師の月給は60000元くらいにまではね上がった。市内バスは全車両冷房車になり運賃は一律15元。仁愛路や信義路のようにバス路線以外の全車線を一方通行にする都市大改革、1998年には台湾一高い台北101ビルの建設開始(2004年完成)、2001年華西街などの公娼制度廃止、2003年台湾新幹線着工(2007年完成)など、経済面のみならず、庶民生活、街並み、娯楽、文化など、凄まじいスピードで台湾は近代化に邁進し、街の風景は変わっていった。(当時のレートはおよそ1元=3円)

 

―コロナ禍の奇跡―

世界中が新型肺炎ウイルスに見舞われた2020年、飲食・レストラン、小売業の営業額は10~20%も落ち込んだが、2,3か月で回復した(グラフ参照)。世界主要先進国の経済成長がコロナ禍で鈍化する中、台湾は当初からマスク着用、空海港水際対策など感染拡大阻止に成功した。但し、感染対策で市民生活がある程度抑制されたことから、内需そのものは一時期マイナスとなった。GDP成長率の主要寄与度も、2019年には好調だった内需寄与度が、コロナの影響で2020年に2%前後落ち込んだが、外需寄与度が4%伸びて内需の落ち込みをカバーした。2020年はコロナに対して生活様式や対策が固定せず、しかも外国人観光客や出張者が激減し、観光業・飲食業・旅館/ホテル業を中心に内需は多大なダメージを受けた。2021年に夏になると、台湾でも感染者が一時期急増し、前年に比べると感染状況が深刻化したが、感染対策システム化もすでに滞りなく運用されており、外需はリモートビジネスで、内需は自国民ビジネスの展開で難なく乗り切ることができた。そのため、内需・外需ともGDPの成長に大きく貢献し、成長率は年6.09%、一人当たりの実質GDPは3万米ドルを超えた。貿易面でも輸出入ともに30%前後伸び、653億ドルの貿易黒字となった。台湾は米国、中国という巨大マーケットを持っており、この2大国への輸出だけで1300億ドル以上の貿易黒字をもたらした。中東、日本との貿易で合わせて460億ドル以上の赤字であっても、収支は653億ドルの黒字に達した。コロナ禍でも経済成長率は10年ぶりに最高値を記録した。



 2021年1月 日本台湾交流協会「台湾の主要経済指数の動向」


ではなぜ台湾は好調を維持できているのか。その理由は貿易構造にある。台湾の主要輸入品は、石油、天然ガス、石炭、鉄鋼、ファインケミカル、布製品などで、内外向け製品を製造し続けるためには不可欠なものが多い。一方、主要輸出品は半導体、無線通信機器、電子機器、コンピュータなどで、貿易相手国におけるコロナ感染者の増減に左右されにくい品目が並び、尚且つ、リモート授業や在宅勤務など、人々の生活様式が遠距離活動に移行しつつあるなか、IT産業、通信機器、電子機器など台湾の輸出総額の半分以上を占める電子産業が大きな恩恵を享受した。輸出はこれからも台湾経済成長の主な牽引力となり続けるだろう。

40年前に私が感じたノスタルジーなど、もはや、どこにもない。

台湾はいつも元気いっぱいである。

終わり

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