注目ポイント
藤本壮介氏は「建物はある意味で実は非常に暴力的だと言えます。壁が空間を内と外に隔て、それにより人々の動きを制限する恐れもあるのです。でも実はそのように白黒をつけるのではなく、ぼかして、境界線を曖昧(あいまい)にすることで、人々がより快適に過ごせるグレーゾーンを作り上げるべきなのです」と言います。
日本の建築家の多くはこの業界で数年間修行し、大手建築事務所から独立すると、起業して自分で仕事を始めます。建築業界もそれぞれの系譜を非常に重視しており、一人の建築士と会うまでは、その人の出身から理解しようとします。しかし、建築家・藤本壮介氏は、それとは逆の道を進むことに決めのです。
1994年に東京大学建築学科を卒業後、すぐに就職はせず、毎日様々な建築タイプについて繰り返し考え、建築とは何かと考えていました。そして時々、デザインコンペに応募したり、時には医師である父親の友人からの案件を受けるなどして、6年間、「すねかじり」をしていたのです。
そして2000年、ついに青森県立美術館のデザインコンペで、多くの有名建築家を打ち負かして2位に入賞し(1位は青木淳)、一躍有名になりました。日本の建築界で頭角を表し、同年、藤本壮介建築設計事務所を設立して、多くの非常に素晴らしい作品を作り始めたのです。

© 東京建築女子
彼は常に建物と空間の様々な可能性を探求し、挑戦し続けており、ユニークなデザインスタイルで数々の賞を受賞しています。また、徐々に海外でも知られるようになり、今や世界的に有名な建築家となりました。彼の建築は「自然で混沌とした空間」と「人工的で混沌とした空間」を探求し、自然と人工との間にある境界線を曖昧にしようとし、人工的に作られた「建物」の中に、様々な方法で「自然」を組み入れようとしています。
彼は「建物はある意味で実は非常に暴力的だと言えます。壁が空間を内と外に隔て、それにより人々の動きを制限する恐れもあるのです。でも実はそのように白黒をつけるのではなく、ぼかし、境界線を曖昧にすることで、人々がより快適に過ごせるグレーゾーンを作り上げるべきなのです」と言います。
近年、彼の作品はさらに建築の将来性について論じるようになりました。彼は、完成後の建物は街の一部となり、変化と成長を続けていくものだと考えているのです。2020年に完成した「白井屋ホテル」(群馬県)と、2021年にオープンした石巻市複合文化施設(宮城県)は、新しい建築モデルを使って街との関係をつなぎ、さらに環境の美学と活力を高めようと試みています。

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宮城県石巻市は、3.11東日本大震災の時に大規模な被害を受けた地域の一つです。もともとあった「石巻市民会館」と「石巻文化センター」が震災によって損壊したため、再建が決定されました。これからの街の文化の発信と伝承を考慮して、政府は「博物館の機能」と「劇場の機能」などを持つ文化施設を集めた「石巻市複合文化施設」プランを提出し、各方面の専門家によるデザインコンペが開催されました。最終的に藤本壮介氏のプランが、審査員と住民の票を集め、優勝し、さまざまな調整と建設工事を経て、今年の春、ついにオープンしました。