明治時代の人類学者に伊能嘉矩という人物がいる。岩手県遠野の出身で、のちに柳田國男と知己になり、『遠野物語』の成立にも影響を与えたと言われている。にも関わらず、日本ではほぼ知られていない伊能嘉矩だが、彼には、また、知られていない重要な仕事があったのである。それは、台湾原住民の研究だ。
明治28年、日清戦争により、日本に台湾が割譲されると、伊能嘉矩は、台湾総督府の職員となって、台湾に移住する。そして台湾全土の人類学調査を始めるのである。明治30年5月30日から12月1日の台湾島一周旅行の後、伊能嘉矩は日記形式による視察報告『巡台日乗』を出版し、調査結果は、『台湾蕃人事情』として出版された。
伊能嘉矩は原住民をアタイヤル族(Ataiyal)、アミ族(Amis)、ブヌン族(Vonum)、ツオウ族(Tsoo)、ツァリセン族(Tsarisen、現在のルカイ族)、パイワン族(Spayowan)、プユマ族(Puyuma)、平埔族(Peipo)の8民族に分け、平埔族をさらに10民族(マカタオ、シラヤ、ロア、バブザ、アリクン、バブラン、パゼッヘ、タオカス、ケタガラン、クバラン)に分類した。
その後、郷里の遠野に戻った伊能嘉矩は、民俗学などの調査で、柳田國男と知り合い、その死後は、柳田國男を中心として、伊能嘉矩の遺稿をまとめた『台湾文化志』が刊行された。
この知られざる人類学者、伊能嘉矩。私は、いま、伊能嘉矩と台湾の関係について、もっと知りたいと思っている。伊能嘉矩の研究は、のちの台湾研究者に大いに貢献しており、台湾大学には伊能嘉矩文庫もあるくらいである。
日本と台湾の最初の橋渡しをした、友好関係の基礎を作った人物として、私は、伊能嘉矩の取材をはじめようと思っている。台湾では、伊能嘉矩は知られた存在なのかも気になるところである。
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